すべてが猫になる

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緋色の記憶/The Chatham School Affair  (ねこ3.5匹)

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トマス・H・クック著。文春文庫。

ある夏、コッド岬の小さな村のバス停に、緋色のブラウスを着たひとりの女性が降り立った―そこから悲劇は始まった。美しい新任教師が同僚を愛してしまったことからやがて起こる“チャタム校事件”。老弁護士が幼き日々への懐旧をこめて回想する恐ろしい冬の真相とは?精緻な美しさで語られる1997年度MWA最優秀長編賞受賞作。(裏表紙引用)


初めてのトマス・H・クック。自分としてはかなりの挑戦だと思うのだが。

実は先日、ゆきあやをよく知るお仲間さんに「ゆきあやは叙情性のある文章が苦手なのじゃないか」というご指摘をいただいた。本人は自覚がなかったのだが、言われて見れば今まで読んだ本や作家さんで苦手だなと思ったものにそういうものが多い事に気が付いた。評判がいいにも関わらずである。

なぜそういう話を今するのかと言うと、本書がまさにそういう感じだったからである。サスペンスというにはあまりにも静かで、ミステリーと言うにはあまりにも女々しく、老人が少年時代に体験した事件を回想という形で綴っていく本書は、叙情と言う名がまさにふさわしい美しくも哀しい文章世界に彩られているのだ。少年が出会った一人の女教師。彼の目で見た、村を震撼させたある”事件”。その事件の全貌がまるで見えないまま、村の佇まいと人々の息吹、閉塞的な社会への鬱屈と外界への自由への渇望が描かれてゆく。
正直サスペンスとして見れば面白味は全くない。魅力と言えば、最初に言った通りの文章だろう。


読み継がれる名作であるんだとは思う。このタッチの文章が好きな人も多いだろう。
が、美しい景色を見るたびに、綺麗な女性に出会うたびに、自分の心情を「堰をきって自白でもするかのように、その重荷をザアッと地上に吐きだし」とか「細く射しこむ木漏れ日にゆっくりとまわしながら、あどけない崇拝者の目で見つめた」とか人間いちいち思わないだろ、としか考えられない読者(わたくし)には、いかにこの時の自分の心情を精一杯表現するかに力を入れているこの小説のペースには全く付いて行けなかった。訳は上手いと思います。はい。


(394P/読書所要時間4:00)