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歪んだ創世記 (ねこ4匹)

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積木鏡介著。第6回受賞作。


ちょっと流行った(らしい)メタミステリ。

結末から始まる「創造主」の謎に満ちたプロローグ。
舞台は絶海の孤島。
見知らぬ部屋で突然目覚めた、記憶を失った2人の男女。男の手には斧、女は
ベッドの下。二人は突然出会う。
自分の正体すらもわからぬまま、食堂で発見した3人の男女の惨殺死体。
謎のバースデーパーティ。
そして、2人をどこからか眺めている「創造主」とはーーー。


わっけわからん(笑)なんだこりゃ^^;。
ストーリーを追うのは放棄して、ただ次々と提示される謎と世界観について行くのに
夢中でした。
中盤を過ぎ、なるほど、こういうお話か!と理解しかかったものの。難しいっす。
男女の正体、死体の謎などは解けるけど、肝心の骨子となる「創造主」とは
作家か、神か?というテーマはおいてけぼり。
まあ、メタミステリってこんなものですか?

面白いんですが、これはどう解釈しようかな。
フィクションは所詮フィクションであることに対して
揶揄する読者を皮肉ったもの?
まさか、どこでもドアやガリバートンネルを見て「ありえねえ!」などと
テレビに唾する人間はいないでしょうが、「外界から遮断された山荘」
「首なし死体と不可能密室犯罪」「ステッキを持ちひげを生やした探偵が一同を
集めて推理を披露」というお約束に対し同じ言葉を吐く人種は存在します。
つまりどこでもドアは絶対ありえない。だからフィクションだと割り切って楽しめる。
しかしシャンデリアからぶらさがる密室の死体やシルクハットをかぶったストイックな
探偵、は物理的にはあり得ます。でも、「常識として」ありえない範疇。だから攻撃される。
本格ミステリに限っては、科学的な矛盾点などがあれば攻撃されていいですけど。)

小説のそれぞれのルールを読者がどれだけ理解し、消化できるか。
あとは純然たる好みでしょう。

話がそれました。
つまり、本作はじゃあそのルールに縛られずに作品が成立するか?というものでしょうか。
作家ですら「創造主」足り得ないのか?という。
面白い試みです。

ただ、それすら「メタミステリ」と一括りにされ、「ありえない」の代わりに
「ああ、今流行りの?」とフィクションであることを認めた上から物を言われそうな予感も。

嵐の山荘だって、ドラえもんだって、同じフィクションなんだってば。