すべてが猫になる

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七人の敵がいる  (ねこ4.3匹)

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 編集者としてバリバリ仕事をこなす山田陽子。一人息子の陽介が小学校に入学し、少しは手が離れて楽になるかと思ったら―とんでもない!PTA、学童保育所父母会、自治会役員…次々と降りかかる「お勤め」に振り回される毎日が始まった。小学生の親になるって、こんなに大変だったの!?笑って泣けて、元気が湧いてくる。ワーキングマザーの奮闘を描く、痛快子育てエンターテインメント。(裏表紙引用)

 


大好きな加納さんの、PTA奮闘小説。作風が明らかに今までの作品と全然違うので好み的にどうなのかなーと思っていたが、サッサと読めば良かったと後悔するほどの素晴らしい出来だった。

 

ところで、最初は主人公である陽子にあまりいい印象はなかった。そもそも、多くの女性と同じく「事なかれ主義」の自分にとっては、ドラマの「斉藤さん」を彷彿とさせる「間違っていることは堂々と主張する」人物はあまり好きではない。作中にもあるように、正論というものの融通の利かなさ、現実との嵌まらなさ、それは立派な凶器だと思うから。子持ちながらもバリバリ編集者として働く陽子を尊敬はするが、自分1人ではそれが成り立っていない事実、満足に出来ていない家事を見て、両立出来ているとはとても思えなかった。完璧にしなくてもいいと思いはするが、「フルタイムで責任ある仕事をこなしている忙しい自分」が、「そうではない主婦」に対して向ける上から目線の物言い――これが自ら敵を作り、自分自身の柔軟性を奪っていることに気付けないようでは同じ穴のムジナである。普段でも思うことだが、「やってみればわかる、自分もそうなってみればわかる」というような言い草がどうも私は好きではない。それは揺るぎようのない真実だとしても、物には伝え方があると思うのだ。果たして私含む既婚者や子持ち、兼業主婦は全員人格者であろうか?他人の立場を尊重して物が言えない者に、どれだけの人徳が得られるというのか、甚だ疑問なのである。

 

さて、印象が変わったのは一話目後半から。かと言って、逃げるでもなく、自らを省みて、真向から敵に立ち向かい最善の対応策を提案する陽子は間違いなく仕事の出来る人間で、また、その場その場の環境に応じて自分を成長させられる人物だろう。陽子の息子への愛は間違いなく本物だから。

 

本作では陽子が様々な問題に直面する。それは現実でもきっと同じだろう。無償ならば、やらずに済むならそうしたいと思うのは人間なら当然のことだ。「対等」の名のもとに、兼業でも専業でもパートでも、同じように平日や休日に同じような仕事量をこなせというのは確かに無茶だ。しかし、専業だからと多くの雑事をこなさなければならない事もどう考えてもおかしい。稼ぎの発生しない仕事は仕事ではない、という考え方をする者が存在するのも確かだし、ヒマな主婦がお茶会をしているようにしか見えないという子供会やPTAの存在自体に疑問を感じる者も実は多いだろう。しかし、それはどうしても子どものために必要なもので、やり方だけが現代にそぐわないことが問題なのだと感じる。フルタイムで働く女性なら文句を言われるのに、父親なら言われないという部分もそうだろう。この作品では、様々な問題点を、見事に論破していると思う。もちろんエンタメ作品なので、現実的に実現可能なのか、それはリアルに機能するのかという向きもあるが。

 

一番良かったのは、最終話。今までで最強の敵と見做していた会長をコテンパンにやっつけた陽子。大変スカっとしたが、何より良かったのは後日談。私は、どんな人間であれ(犯罪者とかはともかく)、そこまで打ちのめしたら可哀想になってしまうという悪い癖がある。その後をきちんとフォローし、人としての尊厳を奪わなかった陽子には脱帽である。

 

色々熱く語ってしまったが、色々考えることのできた面白い作品だったということ。女性も男性も楽しく読める快作ではないかな。