すべてが猫になる

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煙突掃除の少年/The Chimney Sweeper's Boy  (ねこ3.9匹)

バーバラ・ヴァイン著。ハヤカワポケット・ミステリ。

 

小説家ジェラルド・キャンドレスは7月6日に71歳で永眠した。1926年5月10日生まれ―父の回想録の執筆をもちかけられたキャンドレスの娘サラは、自分が父の過去をほとんど知らないことに気づいた。さっそく調査に着手した彼女は出生証明書を頼りに父の親類らしき老女を突き止めるが…「ジェラルドはあたしの弟よ。五歳のとき髄膜炎で死んだわ」古びた死亡証明書を前に、愕然とするサラ。父は、ジェラルド・キャンドレスではなかったのだ。では、いったいどこの誰だったのか。不安を押し殺して調査を進める彼女が突き止める衝撃の事実とは。 (裏表紙引用)

 

ルース・レンデル別名義作品。
適当にタイトルに惹かれて借りたらそう書いてあった。あーびっくりした。ジャケ借りとはいえなんかやっぱ好みが一貫してるのかね、わたくし。

 

本書はまず、純文学作家ながら一般受けもしている人気ベテラン作家ジェラルド・キャンドレスが自宅で病死するまでの章から始まる。もちろん殺人ではない。彼には妻と2人の娘がいる。ジェラルドの担当者から娘のサラに父親の回顧録を依頼するところからが物語の本筋ではあるが、本書の面白味はいわゆる「父親は何者だったのか」という謎解きの部分だけにはない。基本は妻・アーシュラと上の娘・サラの視点で綴られるのだが、彼女らの人生、性質から見た全く別の人間像と、彼女ら自身を描くことによって浮き出されるジェラルドの人間性がすこぶる面白い。ジェラルドは客に自分で欲しい書斎の本を選ばせ、客が適当に抜き出した本を見て「ほう、君にポーランド語がわかるとはな」などという皮肉を言うようなイヤな人間。妻・アーシュラから見たジェラルドはまったくこのエピソード通りのインテリで嫌味で自己中心男である。対照的に、娘から見たジェラルドは娘を溺愛し、優しく社会的地位もある立派な人間だ。

 

本質をイヤというほど知っているアーシュラは夫が何者であろうと関心はないと言い、対して愛されすぎただけに父親がどういう人間なのかを知らなかったサラは何が何でも父の正体を突き止めようとする。同じ人間でもその者から受ける環境でここまで差が出るのが作品の妙味だろうか。

 

しかし、読者から見てもやはり女性側にもなにかしらの問題があるように映る。アーシュラの被害者意識や責任転嫁気味の性質、自分を卑下しすぎるネガティブさは読んでいてうんざりするし、サラの好奇心の強さやおかしな性癖も読んでいて気持ちのいいものではない。妹のホープに至ってはとても弁護士とは思えないヒステリックさが鼻につく。まあ、それなりに私は面白いけど。でもどうしてこれが一般的に高評価なんだろうな?と疑問を感じるものは常にあった。その答えはずばり、結末に掲載されたある小説にある。想像の範疇を超える、父親の過去。なぜ彼が名前を変え、人生までも変えたのか。彼が描き続けた小説にそのヒントのすべてはあり、惜しげもなくさらけ出された「秘密」は長く引っ張るだけの価値あるものだった。ラストで評価がぐぐん!と上がる小説はたまにあるが、これがまさにそれだった。あーびっくりしたなもー。

 

まあ、ポケミスだし。それなりにこういうものを読みなれている読書家さん向きという条件で結構おすすめ。