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街の灯 (ねこ4.6匹)

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北村薫著。文春文庫。

昭和7年、士族出身の上流家庭・花村家にやってきた女性運転手別宮みつ子。令嬢の英子はサッカレー
の「虚栄の市」のヒロインにちなみ、彼女をベッキーさんと呼ぶ。新聞に載った変死事件の謎を解く
「虚栄の市」、英子の兄を悩ませる暗号の謎「銀座八丁」、映写会上映中の同席者の死を推理する
「街の灯」の3編を収録。(裏表紙引用)



「スキップ」も「ターン」も物語が良かったのだ。
だけどそれでも私にとって、北村さんの文章はその物語を引き立たせるものであって、その良さの
後からついてくる称賛だった。このあいだまでは。それがこの短編集で入れ替わった。
もうこんなへぼ文章で感想を書く気が失せるくらい、北村世界にしてやられてしまった。
北村さん。いや、北村様だ。繊細だけど、触れたら壊れそうな脆さではない。細い描線を思わせる
女性的な優しさの中に、こちらの感情を動かすような「余分な間」がある。
物語的な躍動感はないが、呼吸が聞こえるようなこの時間の流れ。
この短編集の主要キャラクターである「ベッキーさん」と、お嬢様英子の関係にそれがとても
マッチしていて、最後にああ、だからこうなんだ、と思わせる。

驚いたのが、私のイメージする「探偵さん」と彼女が全く違うスタイルであったこと。
「冬のオペラ」の巫さんでも同じ事を思ったが、ベッキーさんがあくまで英子の使用人という
立場で彼が「職業探偵」であるからという意味とは違うだろうなと思う。
そもそも彼女は驚くほど肝心な所でしか出て来ない。
ベッキーさんは英子にあれこれと指南する役に徹している。スタイルとしてそこにある
「謎」のヒントを提示しているかのようだが、(いや、その通りでもあるが)
彼女は英子に世の中や人生の真実を教示している。知識ならば周りの大人が教えてくれるが、
子供が大人になる為のきっかけとなる何かはそれぞれが吸収して行かなければいけない。
そのスイッチを押してくれる大人がいれば本当は理想的だ。
もちろん、その本人にも下地がなければならないとも思うが。
『私が子供だったら、そんな言葉はかけられなかっただろう。逆に、大人でも。十と二十の
真ん中辺りと言う、わたしのどっちつかずの年齢が、そういう言葉を吸い込ませるのに
適当な砂地になったのだろう』


2編目の『銀座八丁』。
印象に残っているエピソードがあまりにもこの作品に多くて、どこを拾っていいやら
わからないが、衝撃的だったシーンがある。
そもそも、ピアノを聴かせる為に下級生を呼び出す(しかも手紙で)という感覚が
私にはさっぱり付いて行けないが、それはさておき。英子がクラシックに疎く、
指定された曲を弾いている部屋がわからない。ドアの前で逡巡していると、気配を察した
”麗子様”が曲を替えるのだ。「これならわかるだろう」と言わんばかりに。
おお、自分が書くと↑普通だ(ーー;)。。
「どこを引用しようかな?」というぐらい、北村さんの織り成す世界の宝石箱だった
わけだが、特徴である自然や風景、街の空気を再現する美しい描写はもとより、
さりげない日常のささいな会話、仕草、登場人物の動きを明確に現した文章が好きだ。
小説ってこんな事が出来る凄いものなんだと。



ちょっと胸がいっぱいなのと文章力がないので纏まりません。
とにかくこの本は良かった。。。
びっくりしたのは、北村さんは「人が死なないミステリ」を描かれると聞いていたのが
二人も作中で殺されたこと^^;