すべてが猫になる

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1000の小説とバックベアード (ねこ2匹)

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佐藤友哉著。新潮社。

僕は「片説家」。「小説家」と違って、純粋に「特定の個人に向けて物語を書く」仕事だ。そこに
あるのは、創作とはいえないリクエストとマーケティングだけ。いや、正確には「片説家」だった。
四年間この仕事をしてきたが、今さっき解雇されたのだ。27歳の誕生日だというのに……。
あてもなく過ごしていたところへ、「私のために小説を書いて欲しい」という女性が現れた。
奇しくも、失踪しているという彼女の妹は、かつて僕のいた会社が、片説の原稿を渡した相手
だというーー。(あらすじ引用)


エッセイと勘違いしていた佐藤友哉の待望の新刊。
メフィスト賞を受賞してから2、3作の発表で次々消えて行く作家も多い中、とりあえず
執筆活動が停滞していない作家さんは嬉しいもの。ファンとなればなおさら。
佐藤友哉と言えば、今だに「鏡家サーガ」シリーズのイメージが強い。まだ未完結のシリーズ
なので一応そちらの出版を待っていたのだが。。

あいたたた。
こいつぁ例の自爆本、「クリスマス・テロル」の第二弾でした^^;
あれから文章力がまるで上がっていない。むしろ「水没ピアノ」の時期から比べて
下がっている気すらする。この人は純文学の領域に行った方がいい読者に恵まれる、と
煽った自分が少し恥ずかしくなって来た。いや、方向性は間違っていないのだが。。
それとも自分の趣味がこの青臭い世界にそぐわなくなって来たのか?
どうしても西尾維新の文章と比べてしまうからか。(否定はさせない。今回は似過ぎだ。)
西尾さんの文章苦手だけど、やっぱり上手いから読めるんだな。。

とか書くと相当ヒドい駄作みたいですが、読む人によってはこのまっすぐな
「小説への想い」、作家としての「決意表明」のようなものを読み取って
感動出来る秀作なのではないか。日本文学で育って来たような読者ならば
数々の文豪の名や作品が登場するのも嬉しいところだろうし。

面白くなかったわけではないが、どうも「何か違うんだよな。。」という気分が
最後まで拭えなかった。こういう小説は相当文章力がないと敷居が高いんじゃないか。
作家も歌手も批評の対象になるのは避けられない。だけど、その舞台に立つ人間が
「じゃああんたに出来るのか」と言っている姿、想像するだけで悲惨じゃないか?