すべてが猫になる

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紙の梟 ハーシュソサエティ (ねこ3.7匹)

貫井徳郎著。文藝春秋

ここは、人を一人殺したら死刑になる世界――。 私たちは厳しい社会(harsh society)に生きているのではないか? そんな思いに駆られたことはないだろうか。一度道を踏み外したら、二度と普通の生活を送ることができないのではないかという緊張感。過剰なまでの「正しさ」を要求される社会。 人間の無意識を抑圧し、心の自由を奪う社会のいびつさを拡大し、白日の下にさらすのがこの小説である。(紹介文引用)
 
貫井さんの最新作は、「人を一人でも殺せば死刑になる世界」というまたしても挑戦的なテーマ。ご存知のとおり我が国では、人を一人殺して死刑になることはほとんどない。中には、人数の問題なのか、情状酌量の余地のない酷い殺人なら一人でも死刑でもいいのでは、という事件もあるだろう。しかし、現実はそうはならない。当然と言える。仮にこの作品のように人を一人殺せば問答無用に死刑、となった場合、考えられる障害がいくつもあるからだ。殺された方がマシだと思えるような残虐な暴行を加えられた場合は?正当防衛で殺してしまった場合は?仇討ちが動機だった場合は?冤罪の可能性は?犯人が罪を悔い反省していた場合は?一人殺せば死刑なら二人も三人も同じだ、など、この作品では様々な「死刑制度の問題点」をパターンを変えて問いている。
 
登場人物の言動や設定がちょっとファンタジーすぎたり逆に感覚が古すぎたり、という引っかかりはあるが、前述した問いを考えさせるには充分な内容だと思う。個人的には今の制度に不満がないとは言い切れないが、人はいつまでも「殺人、復讐は良くない。しかし我が身に降りかかったらどうなるか分からない」と自問自答していく生き物なんだろうと思う。人が人を裁くことに答えはない。この作品では死刑制度の他に、SNSの危険性や歪んだ正義感に対する警鐘も鳴らしていると感じた。心当たりがある人は一度この作品を読んでみるべきではないか。