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心臓と左手 -座間味くんの推理-  (ねこ1.5匹)

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石持浅海著。光文社ノベルス。



小学校六年生の玉城聖子は、十一年前に沖縄で起こったハイジャック事件の人質だった。従姉の勧めで
沖縄にある進学校を見学に行った聖子は、那覇空港で命の恩人と「再会」を果たす。そこで
明かされる思わぬ事実とはーー?(「再会」)
警視庁の大迫警視が、あのハイジャック事件で知り合った”座間味くん”と酒を酌み交わすとき、
終わったはずの事件はがらりと姿を変える。これが本格ミステリの快楽だ!切れ味抜群の
七編を収録。(裏表紙引用)



”名作”とされる『月の扉』を読まれているミステリファンは多いと思われるが、
それを名作と称するかどうかは力いっぱい横に置いておく。
皆さんはその「月の扉」の衝撃を覚えておいでだろうか。
国際会議を控え万全の警戒態勢だった那覇空港でハイジャック事件が発生し、人質を取られた。
犯人グループは教祖の解放を要求。
すったもんだの挙句、読者の目ん玉がひんむくほどの「唖然」とする収束を見せるという
個人的にはミステリ史上もっとも壁本に近い”名作”である。

その続編だと言うから、あれほど石持さんはもう読まないと豪語していたゆきあやが
なけなしのおこづかいをはたいて買ってみた。そう、悪気なんか全然なかった。純粋に、
「座間味くんの推理」というサブタイトルに惹かれもしたし、なんとなく喉に小骨が
ひっかかったままだった「月の扉」の「その後」を確認したいと思ったのだ。

やっぱり失敗だった。これは、「月の扉」を評価している人にもどうだろう?というぐらいの
「なんてこたない内容」じゃないかと思う。その後には違いないが、読者としては
知りたかった事、気になるところはそこじゃないんですよ、と言いたい気分だ。

続編についての評価はそれだけだとしても、他六編もどうにもまずい。
ミステリ的に読もうとしても、(実際それほど悪いものではないし、『論理のアクロバット』という
煽り文句も意味的には正しい)人物描写の味気なさは相変わらずで入り込みたくても
入り込めない。警視庁の警視ともあろう者が、一度大事件でちょっと関わっただけの
「一般人」にこれほど固執し、頻繁に飲みに誘い、挙句に未解決の事件をべらべらと
喋りまくる、、という事が有り得るだろうか。情と片付けるにはあまりにもである。
「通常ならば現役の警察官がプライベートな付き合いをする相手ではない」と言いながら、
「彼の精神的な歩幅の強さに惹かれている」「そこが彼の場合は超越している」と
説明がなされ、結局は「彼のそんなところが好きだった」が理由だと白状しているじゃないか。
いや、もしかしたらもしかしてそういう事もあるとしよう。
石持氏の場合は、「そこんところの描写」が非常に簡素で説得力に欠けるから違和感がある。
「聡明な男!」「頭脳明晰!」という言葉を並べ立てるだけのものなのだから。

それでもまだ、もう少し一般に馴染みのある題材であり、相談者が警察官でなければと思う。
一般人座間味くん、警察が気付かなかった国際事件を解決!の章が行き過ぎだ。



ここまで書いてしまっては、弁解する余地もないと思う。
この作家さんとは本当に合いません。ファンの方ごめんなさい。

でも表紙がいつも綺麗だね。