すべてが猫になる

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笑うマトリョーシカ  (ねこ3.5匹)

早見和真著。文藝春秋

四国・松山の名門高校に通う二人の青年の「友情と裏切り」の物語。 27歳の若さで代議士となった男は、周囲を魅了する輝きを放っていた。秘書となったもう一人の男は、彼を若き官房長官へと押し上げた。総理への階段を駆け上がるカリスマ政治家。 「この男が、もしも誰かの操り人形だったら?」 最初のインタビューでそう感じた女性記者は、隠された過去に迫る。(紹介文引用)
 
ドラマ化が決まったので、情報が広まって予約がいっぱいになる前に、、と急いで予約。文庫化もされたみたいだけどね。早見作品では「店長がバカ~」を挫折しちゃったけど「イノセント・デイズ」がとても良かったのでまあまあ期待しつつ。
 
主人公は、、といつもなら始めるところだけど、本書での主人公が誰なのかハッキリしなくて分からない。「マトリョーシカ」のテーマ通り、めくるたびに別の人物が支配していて笑っている、みたいな感じ。つまり感情の見えない代議士・後の官房長官清家一郎を操っているのは誰だ、というお話なので、章が進むごとに黒幕候補が登場するという構成となっている。秘書の鈴木とのダブル主役なのかなと最初は思ったのだけどね。息子に依存している母親、意のままにしようとする恋人などなど誰がそうでもおかしくない状態なので、誰が黒幕でも驚きはしない。それよりも、一郎の出自や母親を取り巻く過去の出来事、人間関係が複雑で悲劇的で、読みどころはそっちかな。
 
政治関係の物語なのでちょっと難しかったけれど、一郎の本性が分からない感じとか他人から支配されているようでいて実は皆を操っているのでは、、と思わせる不気味さは興味深かった。政治家や〇族なんて、多かれ少なかれ操り人形というか背後にブレーン的なものがいる気はするけどね。