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第23位 『火の粉』 著/雫井脩介

オールタイムベスト第23位はランキング初の”犯罪小説”です。さてさて実施中のこの企画、
予想外に多くの方から賛同のコメントを頂けたり、実際に紹介した本を読んで頂けたり、と
当初のユルい意気込みを払拭しなくてはいけないな、と思える事態になりました。元々、自分の
趣味を垂れ流せばいいや、という気持ちで浅見光彦なんかも出しちゃいましたが^^;、実は
この作品『火の粉』も、お薦めしたい傑作、というよりは「自分はこういう小説が大好きなんですが
だからって万人にお薦めとは言えません」部類に入るものと言えます。

扱っている題材が「死刑判決」「冤罪事件」「介護問題」である為、読者の価値観や知識力によっては
書き込みの甘さなどを指摘される方もいらっしゃるでしょうし、武内という「善意」を持った恐怖の
存在に不快感しか感じられない方もいらっしゃるでしょう。その上で、ゆきあやが本作を非常に
気に入り、感銘を受けた作品としてご紹介させてもらいたいと思います。元々自分はサスペンス系の
ジャンルに関しては「作家読み」というものをしません。一時はこの雫井氏の作品を追っていたの
ですが、本書より知名度、評判の高い『虚貌』『犯人に告ぐ』については全く心に引っ掛かるものが
ありませんでした。この二作と『火の粉』の違いは明らかです。意外性ではなく、ある程度
「想像出来る範疇」であれ、自分が納得出来る終結を見せてくれたかどうか。それに尽きます。



簡単にストーリーをご紹介しましょう。
裁判官である梶間勲が下した「無罪判決」。隣人夫妻を惨殺し、その子の命まで奪った極悪事件。
その容疑者であった武内は、晴れて自由の身となる。そして二年後、”恩人”である梶間一家の
隣に、「偶然」武内が単身引っ越して来た。武内は梶間一家に対して極上の善意の笑顔で振る舞う。
梶間家には介護を必要とする勲の母、勲・尋恵夫妻、俊郎・雪見夫妻とその子供のまどか。
贈り物や家事の手伝い等で彼らの心を掴んで行く武内だが、梶間家の内部では次々と不可解な
事件が起こり始める。果たして、武内は本当に冤罪だったのか?



この武内という男は天涯孤独で、虐待や虐めなどの過去を持ちます。
冤罪者や加害者、被害者家族について描かれた作品は多くありますが、本作は「限りなく灰色に
近い冤罪者」の善意、周囲の疑惑とその日常の恐怖についてが描かれているのが特徴です。
善意というものはある程度の節度、入って行くべきでない領域、が守られてこそ
感謝に至るものであり、常識を越える見舞金や見返りを求めない度重なる贈り物などは
「ありがた迷惑」でしかありません。しかもそれが、一度は殺人事件の容疑者になった男、
となればその笑顔の裏に潜む何かが、家族の恐怖心を発起したとしても仕方ないかもしれません。
やがてはその親切が負担となり、疑惑へと発展して行くその様は非常にリアルです。
本当にこいつは無罪なのだろうか?
いや、人を色眼鏡で見てはいけない。。
もし武内のような男が自分の隣に引っ越して来たら。。

無罪判決を下した勲の心情についてはもう少し足りないものがあった気がしますが、
プライドの高さから盲目になってしまっている息子や子育てと介護に悩む雪見の衝突、
孤立した嫁と家族との板ばさみになって迷う尋恵の心情、
そして何より武内という不気味な男の一貫しない不安定な精神状態を他者から見た恐怖、が
実に見事に描かれています。

気になった方は是非手に取ってみて下さい。
ちなみに、ゆきあやといつも本を貸し合う同僚がいまして。実はあまり趣味が合わないのですが
^^;、本書を貸した時の彼女の興奮ぶりは凄まじかったものです(笑)
今でも、本のタイトルや作家を覚えるのが苦手な彼女とは「ほら、あの面白かった本」
「武内やろ」という合言葉のようなやり取りが行われるほどです。

世間での評判もなかなか良いと思いますし、中には↑彼女のように本書が一生のフェイバリットに
なる方もいらっしゃるかもしれませんよ^^