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明日の子供たち  (ねこ3.7匹)

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三田村慎平は転職先の児童養護施設で働き始めて早々、壁にぶつかる。生活態度も成績も良好、職員との関係もいい“問題のない子供”として知られる16歳の谷村奏子が、なぜか慎平にだけ心を固く閉ざしてしまったのだ。想いがつらなり響く時、昨日と違う明日がやってくる。先輩職員らに囲まれて成長する日々を優しい目線で描くドラマティック長篇。(裏表紙引用)

 

 

有川さんが、実在する養護施設で暮らす女子高生から施設の実態を題材にした作品を描いて欲しいという手紙をもらい執筆に至ったという作品。綿密な取材をされたとみえ、かなりリアリティのある現場が描けているなあ~。

 

施設に就職した動機はドキュメンタリー番組だという三田村、三田村の指導教員でクールな和泉、ひょろひょろとしているが実は人情派の猪俣、厳しく頑固な梨田など、教員一人一人を描き分ける力はやはりすごい。メインとなる児童はいわゆる問題のない児童、奏子と久志。もう少し色んな児童が前面に出てきても良かったかな。「かわいそうだと思われたくない」という主張はあくまでこの人の場合であって、感じ方や性格、状況は人それぞれだろうから。でも「施設育ちでかわいそうじゃない子どもなんてニーズがない」という言葉は響いた。

 

児童養護施設の予算が少ないのは、声を上げる当事者に選挙権がないから(親をアテにできない)だという。合理で物事をはかる社会に「サロン・ド・日だまり」のような無目的施設はどうしても緊急時の優先度が低くなる。そんな立場の人間に、予約をしなくても、いつでも自分を受け入れてくれる場所というのはやはり必要かなと私でも思う。

 

アッコ行方不明事件や渡会再会事件などは楽しめたものの、全体的にリアリティを追求するあまりフィクションとしての盛り上がりが少なかったかな~。「そのまますぎる」というのか。三田村と和泉、奏子と久志というお膳立てをしておきながらベタ甘が薄かったし。この内容でベタ甘もナンだが、世間が誤解しない程度の、少しくらいの遊びの部分があってもバチは当たらなかったんじゃないかな。あくまで読みたいのは「事実に忠実な作品」でなく「面白い作品」なので。そろそろ自衛隊いっとこうか。