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虚ろな十字架  (ねこ3.8匹)

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中原道正・小夜子夫妻は一人娘を殺害した犯人に死刑判決が出た後、離婚した。数年後、今度は小夜子が刺殺されるが、すぐに犯人・町村が出頭する。中原は、死刑を望む小夜子の両親の相談に乗るうち、彼女が犯罪被害者遺族の立場から死刑廃止反対を訴えていたと知る。一方、町村の娘婿である仁科史也は、離婚して町村たちと縁を切るよう母親から迫られていた―。 (裏表紙引用)

 


東野さんの文庫新刊は、死刑制度にテーマをあてたものでとても読み応えがあった。具体的な内容は、一人娘を強盗に殺された中原の離婚後、元妻が何者かに刺殺されるがすぐに犯人が出頭してくるというもの。妻・小夜子の両親は死刑を望んでおり、フリーライターだった小夜子自身は死刑廃止反対をめぐる手記を出版予定だった。その手記が中原に様々な思いを呼び起こさせるのだが…。

 

答えのない問題だけに、読者の心を触発してくる内容。死刑は無力である、しかし遺族には死刑しか救いがない。犯人を刑務所に何年繋いでおけば更生するなどという基準はどこにあるのか、罪を犯した者は深く反省し社会に貢献していれば許されるのか、など揺さぶられる問題ばかり。主人公の中原自体は激情に震えるタイプの人間ではなかったので、彼を取り巻く人々の熱弁を色々聞かされたという印象。共感出来る人間もいればそうではない人間もいた。小夜子は気の毒だと思うが、被害者遺族は何をやってもいいということではないと思う。どうして裁かれなくてはいけないのか、とある人物が慟哭するシーンでは、確かに過去の誰も被害に遭っていない犯罪(対象は別)で立派な人間が今裁かれるべきかと言われると私も黙ってしまうのだが、それは加害者側が言うことではないのでは、と思った。あくまで加害者側としてはどの犯罪も「明日は我が身」という種類のものではなかったので、情状酌量の余地は認めるが対岸の火事と言ったほうが心情的には近い。

 

いつもながらぐいぐいと読ませるので死刑制度について色々と考える機会をもらった。人権、冤罪など死刑には様々な問題がつきまとう。なんであれ被害者側に立つことが最優先であって欲しいとも思うし難しいところだ。