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数えずの井戸  (ねこ3.9匹)

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京極夏彦著。角川文庫。

 

不器用さゆえか奉公先を幾度も追われた末、旗本青山家に雇われた美しい娘、菊。何かが欠けているような焦燥感に追われ続ける青山家当主、播磨。冷たく暗い井戸の縁で、彼らは凄惨な事件に巻き込まれる。以来、菊の亡霊は夜な夜な井戸より涌き出でて、一枚二枚と皿を数える。皿は必ず―欠けている。足りぬから。欠けているから。永遠に満たされぬから。無間地獄にとらわれた菊の哀しき真実を静謐な筆致で語り直す、傑作怪談! (裏表紙引用)

 


今月の京極夏彦は、「嗤う伊右衛門」に始まる幽霊シリーズ第3弾。これで完結かな?3作はどれも繋がっていないのだけどね。個人的にはこれが1番面白かったかなー。

 

本書は有名な怪談、「皿屋敷(いちま~~い、にま~~い、いちまいたりなぁ~い、のアレね)」を京極さんが新たに創作したもの。私は使用人の菊が奉公先の奥さんに嵌められて高価な皿を割ったとされ井戸に身を投げて、それを怨んで、、っていう風に解釈していた。どちらにしても悲劇なのは違いないけど、もちろんそういうのとは全く違った物語になっている。

 

章ごとに語り手が青山家当主播磨、不器用で鈍間だが器量のいい菊、播磨の側用人太夫、菊の幼馴染であり米搗き男の三平、大番頭の娘吉羅などなど、コロコロと変わる。播磨はいつも何かが欠けている自分を認め茫洋として生き、菊は自分の人生の全てを受け入れ満足し、三平はただ日々数を数え無為に過ごしている。そしてそんな自分を疑問にも思わず、欲もなく生きている。そんな彼らにやきもきする人々と、恋心や身分の壁など、人間なら必ず身に潜める感情が対立しあい、やがては家宝の皿を巡って醜い争いが勃発する――。

 

簡単に言うとそういうお話なのだが、主体は恋愛や皿ではない。それぞれの少しの立場の違い、考え方の違いが誤解を生み取り返しのつかない事態を招くところがやり切れない。吉羅のように全く理解出来ない行動を起こす人物にはイライラするし、菊は菊で、三平は三平で、ああもうなんでこうなっちゃうのかなあ。自分の感情にそれぞれの人物が自覚を持っていないところが本当にもどかしかった。

 

最後は最後で怒涛の展開に息を呑む。まさかここまでえげつないクライマックスを迎えるとは。火付けお七のお話とかもそうだけど、有名な怪談って怖さよりも悲しさが先立つなあ。そしていつものごとく、堪能出来るけどとにかく分厚いっていう。。。。