すべてが猫になる

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虚言少年  (ねこ3.7匹)

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オヤジ臭く、自他ともに認める嘘吐きの内本健吾。モテたいのに女子ウケしないことばがりをし続け、味のある面白さを持つお坊ちゃまの矢島誉。人心を掌握する術と場を読む能力に長け、偏った知識を持つ京野達彦。「馬鹿なことはオモシロい」という信条を持つ小学生男子三人組が繰り広げる、甘酸っぱい初恋も美しい思い出も世間を揺るがす大事件もないが、馬鹿さと笑いに満ちた日々を描く7編。(裏表紙引用)

 


京極さんのノンシリーズもの。前回読んだ「オジいサン」の語り手が老人だったのに対し、こちらは小学生が語り手となっている。とは言っても子ども言葉は用いられておらず、あくまで語り口は大人ふう。「オジいサン」と正直あまり変わらないのである。子どもの言葉を大人に翻訳している体裁だそうだが、それにしたってその辺の大人より大人びた、語り手ケンゴの語り口には失笑が漏れる。いや、面白いのだけれどね。こんな事考えながら毎日バカなことをしている小学生はいなかろうよってなもんで。

 

登場人物はケンゴのクラスメート+滑舌の悪い担任。親友の京野(ちょっとハードボイルド風)と誉(おバカだが勘違いフェミニスト)とケンゴはいつもつるんでいて、日々起こるクラスや家庭のネタを拾い集めておバカに変換している。運動会の順位づけに対する考え方なんかは、読んでいるこちらが充分納得のいくものだった。いやだから、こんな小学生いたら怖いって。大人より物事の本質を理解している。そう思えば、このバカバカしい小説も、現代で我々がリアルに頭を抱える政治家や大人たちの言動行動の浅はかさを憂いたものとも言えるか。

 

単純にひたすら笑えたのは最終話の「屁の大事件」ぐらいか。屁についてここまで能書きを垂れるのはある意味凄い。しかもちゃんとオチがついているという。こういうのばっかりだったら(シモという意味ではなく)、純粋にどのお話もいい意味の「おバカ」で終わったかもね。