すべてが猫になる

ヤフーブログからお引越し。

ヒア・カムズ・ザ・サン  (ねこ3.6匹)

イメージ 1

 

編集者の古川真也は、特殊な能力を持っていた。手に触れた物に残る記憶が見えてしまうのだ。ある日、同僚のカオルが20年ぶりに父親と再会することに。彼は米国で脚本家として名声を得ているはずだったが、真也が見た真実は――。確かな愛情を描く表題作と演劇集団キャラメルボックスで上演された舞台に着想を得た「ヒア・カムズ・ザ・サン Parallel」を収録。有川浩が贈る物語新境地。(裏表紙引用)

 

 

真也は30歳。出版社で編集の仕事をしている。
彼は幼い頃から、品物や場所に残された、人間の記憶が見えた。
強い記憶は鮮やかに。何年経っても、鮮やかに。
ある日、真也は会社の同僚のカオルとともに成田空港へ行く。
父は、ハリウッドで映画の仕事をしていると言う。
しかし、真也の目には、全く違う景色が見えた……

 

この7行のあらすじを使って、二つの物語を作ってみようという、というちょっと変わった主旨の作品を有川さんが描いた。どちらも父と娘の愛情をテーマにしており、父のほうは職業こそ同じものの、その人物像は前半の話と後半の話で全く違っている。前半は、偏屈でプロ意識の高い職人だが愛情表現が不器用なタイプ。後半は、脚本家崩れの嘘つき野郎。もちろん後半の人物に好感など抱くはずもないのだが、ドラマ的にじわじわ盛り上がったのはこちらだった。嘘つきだけど、彼の愛情だけは本物だったからかもしれない。

 

メインストーリーとは別に、「作家というものは感情の振り幅が広い」といった豆知識や、編集者と作家との関係性の繊細さも細かく描写されていて興味深かった。編集者の心ない添削に傷ついてしまうんだね。。それにしても、例に挙げられていた老人のお話やネコのお話などの流れに説得力があるかどうかなどは個々の好みや人生経験次第ではないのか。余程の一般常識とのズレならともかく、担当次第で変えられてしまうのはどうなんだろうという私の素人意見。作家さんの血と肉で出してきたものをこちらが受け止めて読むわけだからねえ。まあ、全部そうやってたら色々問題が起こるんだろうけども。
あと、カオルが真也の能力簡単に受け入れすぎでは^^;その作家さんの説得力がどうのこうのと力説したすぐあとにそのシーンだったから、ズッコけてしまった。

 

ま、それはそれとしてどちらも沁みる物語でありました。まとまりきった前半より、嘘つきパパの後半のほうが好きだったな、結局。むちゃくちゃである分、真也やカオルや明日菜の感情が激しく揺れ動いて、最後の感動に効果的だったと思う。