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カッコウの卵は誰のもの  (ねこ3.7匹)

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東野圭吾著。光文社文庫

往年のトップスキーヤー緋田宏昌は、妻の死を機に驚くべきことを知る。一人娘の風美は彼の実の娘ではなかったのだ。苦悩しつつも愛情を注いだ娘は、彼をも凌ぐスキーヤーに成長した。そんな二人の前に才能と遺伝子の関係を研究する科学者が現れる。彼への協力を拒みつつ、娘の出生の秘密を探ろうとする緋田。そんな中、風美の大会出場を妨害する脅迫者が現れる―。(裏表紙引用)



真夏の方程式」を読むのは映画のあとにしよう、ということでまずこちらを。

東野さんほどの多作作家ともなれば、こういうよくある流行りの設定で物語を作ることも逆に力の差を知らしめることになっていいのかな~、と好意的に考えてみる。なんとなく東野圭吾といえばスキー、というイメージも無きにしも非ずなもんだし。野球や相撲ほどの国民的スポーツでない競技にヘンに薀蓄を絡ませず、簡潔にアピールしてくるので読みやすいなあ。そういえば、屋敷の見取り図や時刻表など読者は読んでいないと言っていたのはこの人だっけ。


ストーリーはさすがの意表が意表をつく展開続きでさすが。元プロスキーヤーである緋田の、娘への想いがよく伝わってくるし自殺した妻への贖罪の気持ちも無理なく共感できる。よくある「血の繋がりだけがうんぬん」がテーマではあるものの、関わりあったすべての人の一つ一つの感情、行動が招いた悲劇だということには目をそらせない。好きなことと才能を天秤にかけ苦しむ思春期のスキーヤーは大人の犠牲者のように描かれているけれど、個人的には「もったいないなあ」と思った。大人になって後悔しませんように。風美が良い子すぎるために対照的な存在となっていて良かった、かな。このあたりの時期にしては良いほうの作品では。題材についてはお好みで。