すべてが猫になる

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ポトスライムの舟  (ねこ3.8匹)

津村記久子著。講談社

お金がなくても、思いっきり無理をしなくても、夢は毎日育ててゆける。契約社員ナガセ29歳、彼女の目標は、自分の年収と同じ世界一周旅行の費用を貯めること、総額163万円。第140回芥川賞受賞作。


初読み、津村記久子さん。beckさんのところで本書が紹介されていて、大変興味を持ったので早速読んでみた。それまではこの作者のお名前も不勉強で全然知らなかった、すいません。beckさんからは他の作品のほうを強くお勧めいただいたのだが、その時にはもう手元にコレがあった、はっはっはー。

本書の主人公・ナガセは月収13万弱の契約社員で、副業もこなしている。真面目に、横道にそれることなく淡々と働き、毎月のガス代や電気代を払い、食事を摂り、彼氏もいない主だった趣味もないただ時間を金で売っているだけの毎日。そんな彼女が一発奮起して、自分と同じ年収の世界一周旅行代を貯めようというところから物語は始まる。なんという地味なお話、つつましい夢かと思う。まあ一部分は自分とまったく違うとしても、働いて働いて、財布の中身を見ながら友人とほどほどに遊び、支払いをすませ、そうすると月々いくらしか残らないなーとか思いながら生活をして。そんなナガセの姿がチクチクと当時の自分に針のように突き刺さる。それの何が問題があるの?と思いながらも、現状に満足していながらも、心のどこかで「別の世界」があることも知っている。そして、実行する行動力もない。自分自身は結構動くほうなので多少イライラさせられる主人公だが、それと引き換えに犠牲にしてしまったものももちろんある。その補えなかった部分を持ち合わせているのがこのナガセで、もちろん貯金なんて思うようにいかないのだが、あなたの人生そんなに悪くないよ?と肩を叩きたくなってくるのが不思議であり魅力だ。お金貯まりましたバンザーイいってきまあす、なんてキラキラしたエンディングではないのも独特で好感を得た。


もう一つ収録されているお話の方が、ドラマ的なテーマかもしれない。入社半年目の主人公が、上司に目をつけられものすごいパワーハラスメントを受けるのだ。それはほとんど言葉のものなのだが、社会経験がある人なら身につまされるものもあるのではないだろうか?自分はさすがにここまでひどい上司に当たったことも会ったこともないが、自分の幼さゆえ社会の理不尽さや会社の人間関係の仕組みに吐き気を覚えたことなら何度でもある。私は本編の主人公のような忍耐力もおとなしさもなかったのでオサラバしたが、そもそも、本書にあるとおり、人間関係に悩まない職場に出会った人はそれだけでもう宝物なのだ。

本作で提示された、主人公が「自分より酷い境遇」の他人を知ったことによる心境の変化が自分の中にある何かとリンクし、平凡な人間の日常を淡々と描きながら、最後には人生の真実に到達してしまったかのように見えてしまった。

刺激という点では控えめすぎるほど控えめなので当世バカ売れする種類の作品ではないだろうが、ちょっとした新感覚の作家ではなかろうか。他の作品もぜひ読むつもり。