すべてが猫になる

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鷺と雪  (ねこ5匹)

北村薫著。文春文庫。

 

昭和十一年二月、運命の偶然が導く切なくて劇的な物語の幕切れ「鷺と雪」ほか、華族主人の失踪の謎を解く「不在の父」、補導され口をつぐむ良家の少年は夜中の上野で何をしたのかを探る「獅子と地下鉄」の三篇を収録した、昭和初期の上流家庭を描くミステリ<ベッキーさん>シリーズ最終巻。第141回直木賞受賞作。(裏表紙引用)


あ。。。なんか言葉が出ない。

 

出だしが「大きな刷毛で薄墨を塗ったような空だ」だもんな。読み始めて数秒で自分の周りの空気まで一変させるような北村さんの文章がとにかく好きだ。


特に自分は芥川や昭和の詩に精通しているわけではないが、北村さんが拾ってくる芥川の言葉や詩の引用がここまで小説世界に馴染んでいると、そりゃ文学通気取った顔で読みたくもなる。この時代の良家のお嬢様の考え方や人生、女性の立場など、現代と比べてそれは良くなった面も多いのだろうし窮屈さも感じる。が、女性が女性で居られた時代でもあったのだなとも思う。今、女性が汚い男言葉を使ったり、公共の場で足を拡げて座ったり、未来に来るであろう女性の変化ってそういうことじゃなかったんじゃないの?もっと良いものを未来に想像してたんじゃないの、と残念に思う。

 

この小説の<ベッキーさん>こと別宮さんはこれから訪れるであろう女性の自立を予感させる役割もあると感じている。中性的でかっこよく、聡明で芯の強い、責任ある仕事を持った女性。誰しもが憧れるキャラクターだと思うが、時折彼女が見せる「失ったもの」を強く現す印象的な言葉がある。「別宮には何も出来ないのです。お出来になるのはお嬢様なのです」がそうだ。また同時に、「願えば必ずかなう」という先生の言葉に反発する英子に対し、英子と先生ではどちらが年上かと聞きその言葉の真意を汲み取れとベッキーさんが諭すシーンがある。もちろんどの言葉も、まだ若い英子が本当に理解したとは思えない。しかしそれが当然で、それでいいのだと思う。読者には、この運転手兼探偵にすぎないこの女性が、英子にとっての素晴らしい教育者であり彼女を善導する存在であることが目に見えるようだから。


しかし終わってしまった。もっともっと読み続けたかったなあ。三部作だなんてあっけなさすぎるよ。。
ねこ5匹ね。←廃止は。