すべてが猫になる

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雪冤  (ねこ3.7匹)

大門剛明著。角川文庫。

15年前、京都。男子学生と十九歳の女性が殺され、一人の男が逮捕された。元弁護士の八木沼悦史は、死刑囚となった息子・慎一の冤罪を信じ、一人活動をしていた。だが、息子は面会を拒絶、弁護士に無罪を訴える手記を手渡す。一方、殺された女性の妹・菜摘に、真犯人を名乗る人物・メロスから電話が。メロスは悦史に自首の代償として五千万円を要求するが――。驚愕のラスト、横溝正史ミステリ大賞の傑作・社会派ミステリ!(裏表紙引用)



初読みの作家さん。べるさんがよく記事に取り上げられているので文庫になったら読んでみようと思っていたもの。本書は冤罪や死刑制度の在り方について取り上げた題材のもので、執筆された時期から始まった裁判員制度と合わせて我々にも深く読み込ませるものとなっている。先に言っておくと、私はこういう
重いテーマを扱った小説は好まないほうだ。楽しむための趣味の読書で、わざわざ暗い重い気分になる理由がわからないという、一種の五月病みたいな症状が出ることがたまにあるもので。

しかし、自分の答えを出さなくてはいけない、考えを述べなければいけないという強迫観念があるから抵抗があるのであって、必ずしも、少なくとも本書にはそういう意図はない。他人事で済まさずわが身として考える機会というものはあったほうが絶対にいい。恐ろしいのは、死刑執行のボタンを死刑制度に賛成する国民全員で押すべきだ、執行後に冤罪が判明したら殺人者である国民が殺されるべきだという問題提起に対し「それがお前らの仕事だろう、甘えるな」というような偏った姿勢を生むことだと思う。作中には死刑廃止論者や、他人事で死刑賛成と反対の狭間を都合よく行き来するマスコミが登場する。作品のスタンスとしてはどちらの考えにも寄ってはいないが、読者として反発心が芽生えるような書き方をしている人物が登場する。身内を無念に殺されたことのない者、社会経験が乏しく理屈でしか物事を考えられない陶酔型の人間。しかし、彼らは考え行動している。やっていることの正否はともかく、彼らはそれでも余程自分よりは「考えている」のではないだろうか?


さて、小説としての面白さはどうか?文章は読みやすいほうで、サクサクとまでは行かないまでも(色々読みながら一旦止まって考えたりもするので)充分及第点だろう。京都弁で勝気な犯罪被害者の女性や息子の冤罪を信じて疑わない父親、情の厚いバンドマン、過去に重いしこりを残す弁護士など個性的で人間らしいキャラクターなど、人物描写も整っている。読者の想像を裏切る展開作りがあり緩急の付け方も見事だ。惜しむらくは「この作者にしかない持ち味」の不足だろうか。デビュー作ゆえそこまでを求めては贅沢だろうが、実力派であることは確か。今後読む作品にも期待したい。