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パニックの手/The Panic Hand vol.1  (ねこ3.7匹)

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ジョナサン・キャロル著。創元推理文庫

黄昏の列車のなかで、ぼくは目を瞠るほど美しい親子と同席になった。妖艶で饒舌な母親と、うまく舌が回らず涙ぐむ娘。だが母親が急にぼくを誘惑しはじめ、逃げようとしたとたん、「いか、か、かないでお願い!」娘が腕にかじりついてきた……。物語に潜む”魔”が筆舌に尽くしがたい余韻を残す表題作はじめ、世界幻想文学大賞受賞作「友の最良の人間」など全11編を収録。(裏表紙引用)


ちょっと待て、「vol.1」ってことは「vol.2」があるのか?
というわけで、愛するジョナサン・キャロルの短編集に初挑戦。短編集だけあって、今までにないようなさまざまな味わいがあるね。読んでて頭おかしくなりそうはっはっは。

フィドルヘッド氏」
40歳になった女性が、友人から贈られたプレゼントの豪華さに引いてしまうという、発端はそんな感じのお話。ロマンスとファンタジー漂うストーリーの結末をこんな血も涙もない台詞でよくも終わらせたな。。。

「おやおや町」
タイトルの意味は読めばわかるとして(いや、理解できんのだが気にしない)、まあある家庭の掃除婦さんの口癖です。ね、なんのこっちゃ。なかなかに掃除婦さんの存在感がデカイ。コワイというよりわけがわからないキャロルワールド。ラスト、掃除婦→幽霊→凄いところまで行った。

「秋物コレクション」
歴史の教師をしているパッとしない男が、助からない病魔に侵される。彼が死の前にはまり込んだ事とは?こういうお話は好み。死ぬ前の行動で今までの人生に答えを出したのかなあ。

「友の最良の人間」
ナントカ賞作品らしいのだが、自分にはちょっとピンと来なかった。犬の言葉がわかるとされている病気の女性と、犬の飼い主。うーん、結局わからんね。わからんからいいんだろうね。自分の印象では、彼女の言っていること=犬の言葉とは思えなかったのだが。

「細部の悲しさ」
絵を細部まで描くのがうまい一人の女性が、未来の自分の運命が写った写真を見せられ苦悩するというお話。ファンタジー色強し、完結度弱し。人間の生活に細部がないと完成しないわけだが、この圧倒的な最後の一行が全てかと思う。

「手を振る時を」
女に振られた男が、感傷に浸ってドライブする話、と言っては身もフタもないが。弱ってる時は神頼みをしてしまうという気持ちは人間らしいと思う。これも読者に想像の余地を残す作品だが、手を振るところは見たくない。

ジェーン・フォンダの部屋」
男が地獄の新居として選んだのは、「ジェーン・フォンダの部屋」と呼ばれる映画の部屋だった。
なんだろうなあ、これ。針地獄とか灼熱地獄とかと置き換えると面白いね。

「きみを四分の一過ぎて」
ドロドロとしたカップルの愛憎がベースになっているけれど、オチの効いたホラー。タイトルがいいね。

「ぼくのズーンデル」
ズーンデルというのは、オーストリア産の珍種の犬のこと。この犬と目が合うと危険。。明確に描かない手法は効果的。この飼い主、後に引けなくなってる。

「去ることを学んで」
部屋に隠してある煙草を探してご褒美をもらうお話。そのお話の語り手はその彼女で、聴き手は彼氏。語り手は彼氏なのだけど自分が聴き手という立ち位置を自覚するっていう終わりのない語り口がキャロルらしい。どう解釈しようと想像しようと読者は永遠に聴き手だけどね。

「パニックの手」
表題作に到着。吃音のある娘よりも、まずは母親の不気味さが際立つ作品。その後に来る娘の態度でやっと拍車がかかる。ラストでわかる男の未来が未来だけに、思い返すとさらに不可思議さが倍増する母娘。


以上。
面白いけどね、長編のほうがいいよ、キャロルは。長編をある程度読んでから、「これはこれでキャロルだな」って楽しむほうが混乱しないかな。自分はキャロルを読む時だけはいつもやっている読書と違うことをしている気分になるわけだけど。

(276P/読書所要時間2:00)