すべてが猫になる

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犬の力/The Power of the Dog  (ねこ4匹)

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ドン・ウィンズロウ著。角川文庫。

メキシコの麻薬撲滅に取り憑かれたDEAの捜査官アート・ケラー。叔父が築くラテンアメリカの麻薬カルテルの後継バレーラ兄弟。高級娼婦への道を歩む美貌の不良学生ノーラに、やがて無慈悲な殺し屋となるヘルズ・キッチン育ちの若者カラン。彼らが好むと好まざるとにかかわらず放り込まれるのは、30年に及ぶ壮絶な麻薬戦争。米国政府、麻薬カルテル、マフィアら様々な組織の思惑が交錯し、物語は疾走を始める―。 (上巻裏表紙引用)


beckさん、お先です。
上下巻1000ページ強の大作、先月からちびちびと読み続け遂に読了。今年の遅れてやって来た話題作で、既に年末ランキングベスト3入りを果たしている。これなら「このミス」上位は堅いだろう。ひょっとすると「グラーグ57」を抜くかもしれんね。

さて、ドン・ウィンズロウと言えば『ストリート・キッズ』で始まるニール・ケアリーがマニアに人気だ。孤児で探偵となったニールの冒険は数々の社会問題を絡め決して明るい作風ではなかったが(初期3作)、ファンもまさかウィンズロウがここまで本格的な作品を描けるとは想像もしていなかっただろう。ニール後期作と比べればまるで別人である。

作風はハードボイルドで、主人公は元CIA分析官・現麻薬取締局捜査官(DEA)のアート・ケラー。75年から04年まで続いた麻薬戦争を、南米、カリフォルニア、メキシコと舞台を移し、腐敗しきった政治、麻薬密輸、暴力抗争、その全てが濃密に描かれてゆく。アイルランド人の殺し屋や麻薬カルテルの親玉バレーラ、甥のバレーラ兄弟、高級娼婦ノーラ、マフィア、司祭。。麻薬戦争が生んだ様々な悲劇と犯罪が場面を次々と変え怒濤と押し寄せる。

特に強く描かれているのはバレーラ兄弟のアダンや、恋人をアダンに殺され復讐を誓うノーラ、ノーラを愛した非道の殺し屋カラン。アダンは圧倒的な悪役として描かれてはおらず、娼婦を愛し、障害を持って生まれた娘への想いがあり、親友と成り得たアートを殺さなければならない立場に葛藤するなど、どうしても憎めない側面がある。そもそも、政治の腐敗やマフィア癒着がある限り、メキシコのケシ畑を一掃しても国境問題がある限り、麻薬は撲滅しない。農民が麻薬を金銭と同等に扱っているのには度肝を抜かれた。麻薬戦争がどれだけの罪の無い子供達を犠牲にして行ったのだろう。枯れ葉剤問題などは今でも影響が消えていないと聞く。まるで自分とは遠い物語のようだが、間違いなく自分の生きている世界で起きている事件なのだ。数十億ドルを投じて麻薬を締め出そうとしても、まだまだ足りていないという。問題は麻薬だけではないし、犠牲者を救うには気の遠くなるような資金が必要らしい。


内容はかなり陰惨で、目をそらしたくなる展開ばかりだ。
この物語の登場人物はかなりの数になるが、上巻から登場して来た人々が、ページをめくるたびに死んで行く。ずっと動静を観察して来た人物が、あっさりと、残酷に、次のページにはいなくなる。一体何人が居なくなったか、数えるのが恐ろしい。裏切りと保身によって殺し殺され、時には悪人に愛が芽生えるなどドラマが紛れ、テーマは重厚でありながら読ませる小説としての完成度も高い。それでも、「面白い」と言って済ませるにはあまりにも重い。中盤、無情にも橋の下から落とされた無垢の子供達の姿を思い出す。踏まえてアダンに望むのは更生か死か?1つ1つの犠牲に目を向けなくては現実が見えないのではないか。我が子の為に罠に掛かったアダンに、それがわからないのだろうか?
アートは想う。自分が家族を犠牲にしてまで担った任務が、麻薬撲滅の一助になればと。
せめて希望があればいい。今より少しずつでも良い世界を。大勢のアートにならその希望を託せるかもしれないと、それがこの壮大な物語の唯一の光だ。

                            (1041P/読書所要時間9:00)