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秋の花  (ねこ4.4匹)

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北村薫著。創元推理文庫

絵に描いたような幼なじみの真理子と利恵を苛酷な運命が待ち受けていた。ひとりが召され、ひとりは抜け殻と化したように憔悴の度を加えていく。文化祭準備中の事故と処理された女子○生の墜落死―親友を喪った傷心の利恵を案じ、ふたりの先輩である『私』は事件の核心に迫ろうとするが、疑心暗鬼を生ずるばかり。考えあぐねて円紫さんに打ち明けた日、利恵がいなくなった…。 (裏表紙引用)


<円紫さんと私>シリーズ第三弾。初の長編です。

今作のテーマは、若さと苦悩でしょうか。一見ほのぼのとした<私>と友人達との日常の隙間に、後輩である女子生徒の転落死事件が入り込んで来ます。謎の手紙により巻き込まれた形になった<私>ですが、この物語は第七章まで探偵役の円紫さんは登場しません。
乗り越えて行くのも、傷付いて行くのも、主人公である<私>の負うところではなく、かと言って傍観者でもない。あまりにも苛酷すぎる真実や、昨日と明日がまるで違ったものになってしまう、未来あるはずの若者の姿。ある意味中立である<私>の視点でなければ立ち直れないのはそれこそ読者の方だったでしょう。円紫さんは、静かに謎を解き明かします。説教するでもなく、積極的な姿勢ですらなく、それでも人生経験抱負な大人としての目線で、彼は様々な事を教えてくれます。ある時は植物に関する知識で、ある時は落語の引用で、ある時は文学者の言葉で。=北村さんの言葉と解釈しても良いものですが、円紫さんは北村さんでもあるが、北村さんは円紫さんでは絶対にない。作中、そう当て嵌めてもいいようなくだりがあったので、忘れられずそう感じてしまいました。

それにしても文章が相変わらず綺麗だ。
傘に叩き付けられる雨粒の音をビー玉に喩えたり、円紫さんとのティータイムを船が港に着いたようだと表現したり。子供と大人で読書に対する感じ方の違いを述べられているくだりはいつにもまして目が覚めるよう。同じ本を50回も100回も読んでいたあのころと、違う本を毎日手に取って消化している今。失ったものを自覚しつつも、今でこそ得られるものがなかったら嘘だ、と思える。自分はこれからも<耳>で読んだりはしないし、こうやってすぐにでも私が<私>になれるこのシリーズは本棚のいちばんいいところに並べるしかないかもしれない。

                             (256P/読書所要時間2:30)