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ファミリーポートレイト  (ねこ3.8匹)

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桜庭一樹著。講談社

あなたとは、この世の果てまでいっしょよ。呪いのように。親子、だもの。ママの名前は、マコ。マコの娘は、コマコ。『赤朽葉家の伝説『私の男』―集大成となる家族の肖像。 (紹介文より)


なかなか感想が難しい本だな。
桜庭さんの最高傑作というのは間違ってないとも思うし、かと言って一番好きになった作品でもない。
だけど、一番物事を色々考えさせてくれた、夢中になった本だという事は事実です。

この作品で描かれているのは、ある母と子の壮絶なドラマ。人格形成、という言葉が何度も頭をよぎる作品。何かから逃げ、拠点を次々と変え厳しく生きて行く不幸な若く美しい母と子。明らかに母のマコは何かしらの犯罪を犯しているように見える。あまり口の利けないコマコは常に大人の邪魔にならないよう、そして大人に気に入られるよう振る舞い、母の虐待に対しても愛情と受け止める(ように見える)。子供を忠犬呼ばわりし、煙草の火を押しつけ、機嫌のいい時だけめいっぱいの愛情を注ぐマコ母の姿には嫌悪以外何も感じられず、ただの虐待ドラマじゃないか、と反発しか感じられなかった。
が、母として子を宝とし慈しむ事と、根底に漂う「所有物」という感覚は共存しているのだろうか、と
も思う。第一部はなんだか読んでいて哀しくなるばかりで、この物語を到底愛せそうになかった。

しかし、喋れない代わりに文字を覚えるのが早く、現実逃避から物語に没頭し始めるコマコの姿には共鳴しまくった。恐らく桜庭さんの幼少の頃からの姿を投影しているのだろう、と想像がつくあたりも、
この物語で再三出て来る「命を削って書いた物語しか売る価値はない」という座右の銘のような言葉で
確信が持てる。この物語を全体を通して見た場合、ではどうして桜庭さんは遠い国の勇者でもなくクレーンに育てられた少女でもなく、苦悩し自殺する文学青年でもなく、こういうリアルに不快感を発起させる物語を描いたのか、それが疑問になって来る。誰かの夜に滑り込む言葉を紡ぎ出して、毎日本を読んで寝る。文学界に勝負を懸けるプロのリアリストである一面と、読書好きでさらにエンターテイナーである純粋さとがバランスの良さという奇跡を生み出して、主人公が明日へ向かって進む感動的で技巧に優れた物語がとうとう完成したのではないか。

個人的に好きかどうかは別。桜庭さんの読書への偏愛と、それを言葉にして届けてくれる才能は心の底から尊敬している。書評もクリエイトの一つだと言う言葉を見つけた時、負けたなと思った。