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第2位 『Yの悲劇』 著/エラリー・クイーン

ああ、あと1冊で終わりなのね。(;;)
というわけで、しつこくエラリー・クイーンの登場です。『シャム双生児~』で軽く伏線を出していた
つもりなんですが、余計な事をしてしまい多くの方にバレてしまってましたね^^;
まあ、おいらがこの作品を挙げないわけないでしょう、って事で。

読むのに体力がいる作品なので、『そして誰もいなくなった』程再読回数は多くないのですが、
まあ、3、4回は読んでいます。創元で2回、ハヤカワで2回。どうもおいらはいつも、ハヤカワの
訳だと乗り切れない所があるのですが。「ここは改行してよ!」とかそんなレベルの怒りですけど^^;


まあともかく、この作品には愛情たっぷり思い入れ満点なもので、過分に盲目的になってるな、と
再確認できる読書となりました。しかし、自分にとって「推理小説の完成形」「怪奇性と悲劇的演出の
天井」と信じている作品が本書なのです。本書は犯人の意外性も高評価の一端を担っていますが、
初読で犯人の見当はついてしまったおいらなのですよ。ルイザの証言の一つでピンと来ちゃった。
ですから、あの人物が犯人であった驚き、というのはあまり自分の評価には関係ないところも
あります。





本書はドルリー・レーン四部作(悲劇シリーズ?)の2作目にあたる。
ゆきあやが好きなのは、本書と『レーン最後の事件』。ぜひこの2作は続けて読んで欲しい。
ある病魔に侵されたハッター家に起こったある惨劇。主人であるヨーク・ハッターの死体が
ニューヨークの港にあがったことから事件は始まる。捜査に乗り出したニューヨーク警察本部
殺人課のサム警部は、以前『Xの悲劇』事件でその手腕を見せつけた元シェークスピア俳優、
ドルリー・レーンに助けを求める。ハッター家一族を調査すると、出てくるわ出てくるわ、
狂気に蝕まれた血筋の面々が。。。

とにかく彼らの記述が凄い。傲岸不遜の鬼婆あエミリー、いじけにいじけた小男ヨーク、
天才詩人バーバラ、遊蕩児コンラッド、無軌道娘ジル、おどおどしているマーサ、悪童ジャッキーに
その弟ビリー。三重苦の身体障害者ルイザ。
これはギャグかと思える程の派手派手しい舞台設定。差別用語が乱用され読みぐるしいのは
時代のためか、次から次へと起こるルイザ毒殺未遂に老婦人撲殺事件、さらに謎の放火騒ぎ。
ルイザの証言を手がかりに、レーンはこの理不尽で筋の通らない犯人像に苦悩し続ける。


レーンが得意の変装を断念した事だけが心残りだが。
最後にはあまりの悲惨な事件の真相にショックを受け、ハムレット荘にひきこもるレーン。
最終的にはサムの前で真相を暴露するのだが、その推理はあまりに数学的で、これ以外の真相は
考えられない地点まで証明しきってみせる。推理小説のトリックは可能性が無限で、あくまで
探偵は「説得力がある」真相を披露する力しかない。あとは証拠だけだ。理論だけで、
残る全ての可能性を排除してしまうこのテクニックは圧巻だ。

なぜ、この人物が犯人であるかと同時に、この人物以外の人間が犯人足り得ない証明を
してしまう。そして、不可解な足跡や残された注射器、目的のわからない火災や凶器に持ち込まれた
マンドリンなど、全てが同じ人物を指し示す。その犯人の心理や行動にはこれ以上ない説得力と
状況証拠があり、他の可能性を論じる隙を与えない。


さらに、自分がこの作品を愛している大きな要素がある。
まさに悲劇の名にふさわしい、一気に10も20も老けてしまったドルリー・レーンが取った
行動である。明確な答えは書いていないが、作者はレーンになんという重たい十字架を背負わせて
しまうことか。本当にこのラストには震えた。ぜひ『最後の事件』と読み比べてもらいたい。
(しかし、倫理的にも常識的にも、レーンのこの判断は誤っている。彼の性格は非常に
独善的で、思い込みが激しいという事がわかる。レーンは自らを神だと勘違いしたのかもしれない)



ふう。(;^^A。
まあ、正直言うとここまで来るとさすがに本作の世間的な批判や中傷は気にしていない。
古くさかろうと、粗があろうと(ないない)、自分にとってのベスト・オブ・ミステリは
本書であって、そしてドルリー・レーンはいつまでも自分の心の中で生き続ける。