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さまよう刃  (ねこ3.8匹)

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東野圭吾著。角川文庫。


長峰の一人娘・絵摩の死体が荒川から発見された。花火大会の帰りに、未成年の少年グループによって
蹂躙された末の遺棄だった。謎の密告電話によって犯人を知った長峰は、突き動かされるように娘の
復讐に乗り出した。犯人の一人を殺害し、さらに逃走する父親を、警察とマスコミが追う。正義とは
何か。誰が犯人を裁くのか。世論を巻き込み、事件は予想外の結末を迎えるーー。重く哀しいテーマに
挑んだ、心を揺さぶる傑作長編。(裏表紙引用)


※愉快な記事ではないので、苦手な方はご注意下さい。






東野圭吾という作家名と、あらすじを照らし合わせればこれが重苦しいテーマを持った作品だと
言う事はわかると思う。こういう作品が売れているのは、時代を反映したリアリティと、
社会問題と個人の問題が少年犯罪と絡み合った時、誰しもが答えを探しているからではないだろうか。
もちろん東野氏は小説家であって神ではないから、スカッとする結末やいかにもな結論が書かれては
いない事も想像できる。

少年犯罪、復讐を扱った小説なら数冊読んで来たので、テーマについては初めて触れるものではない。
自分がその上で感じたのは、本書は”被害者サイド”の心情に著しく寄ったものだということ。
娘を殺され復讐を始める長峰に対し、同情的な人間が数多く登場する。判決が軽いものであることを
前提に成り立っているもので、さらに加害者が更生しないと断定した上での物語となっている。
誤解されないように言っておくが、もちろん自分の心情も長峰側である。それでもやはり、
人間らしい心を持った様々な立場の人々が長峰を取り囲む中では彼の行動を阻止したいという
気持ちの方が勝った。
作品中、「長峰の行動をどう思うか」というアンケートが取り上げられるが、予想通り多くの
人々が「同情できるが復讐はいけない」という答えを出した。これが「では、我が子ならば」という
質問に変われば賛成票が跳ね上がるのではないかと思う。

話に脈略がないが、君は経験していないのならばわからない、という考えではこちらに言い返す余地
がなく、考える権利すらなくなってしまう。
こんな事を書いていいのかわからないけれど、先日の秋葉原事件を観ても同じように思う事がある。
自分がもし子供が出来れば、もちろん精一杯育てるつもりだが、それでも子供が加害者サイドの
人間にならない、と言い切れる100%の自信がない。


あくまでこの小説の感想文なので、読まれた方、色々なご意見をお聞きしたいです。