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残虐記  (ねこ3.5匹)

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桐野夏生著。新潮文庫


自分は少女誘拐監禁事件の被害者だったという驚くべき手記を残して、作家が消えた。黒く汚れた
男の爪、饐えた匂い、含んだ水の鉄錆の味。性と暴力の気配が満ちる密室で、少女が夜毎に育てた
毒の夢と男の欲望とが交錯する。誰にも明かされない真実をめぐって少女に注がれた隠微な視線、
幾重にも重なり合った虚構と現実の姿を、独創的なリアリズムを駆使して描出した傑作長編。
(裏表紙引用)



山ほどあったあ行作家の積読本も残り10冊を切りました。頑張ってるでしょ^^
と、言う訳で「か行」制覇に突入。(ん?)
とりあえず、薄いものから……と手を出したのが桐野さんだったのは何の罰だったのだろう。。
本の薄さは内容の薄さだと思ってたわけじゃないのに。。これはヒドい。。
「グロテスク」もグロかったが、本書はそれに輪をかけてヒドい。

2000年に報道された新潟の少女監禁事件に触発されて書かれた「フィクション」だとの事。
あの事件は衝撃的であり今でも記憶から抹消される事はない。
小説の言葉を借りれば作家とは「自らを一個の武器にし、対象に斬り込んで行くだけで他は
見なくて済む」仕事だと言うのは当然尊重されるべきものだと思う。
しかし、いくらなんでもこの内容、この斬り込み方はないだろうと自分は考えた。そして
非常に重苦しい嫌な気分になってまとまらない。

この作品を女性が描いたというのがまずショックだ。
主に、性犯罪の被害者への冒?必として「逃げようと思えば逃げられたのでは」「本人にも
多少その気があったのでは」「なぜ悲鳴を挙げなかったのか」「なぜ」「なぜ」「なぜ」という
言葉がある。信じられない浅墓な言動だが、現実にこういう考え方が定着している人種がいるのだ。
ここまで感想で書きたくなかったのだが。当然、男性の意見である。
擁護すべき女性の立場で見なくとも、この小説の内容ではまるで「本人に落ち度があった」
ようではないか。
フィクションだと理解しているが、現実に起きた事件を題材にしている以上、最低限の配慮は
必要ではないのか。まさか被害者と小説を混同させる読者がいるとは思いたくないが、
桐野さんには筆力があり、読ませる力があるから不安になるのだ。良く出来た作品の影響力、
というのは侮れない。


ここまで書いて、気が変わった。
そう。そして、そんな物語の「あらすじ」や「私を監禁したケンジと真実に死を」という帯の
文句を読んで「読もう」と思ったのは自分なのだ。事件に全く関心がないのもどうかと思うが、
内容に興味を持ち、購入したのは間違いない。
今まで自分は「転落人生」といった、愚かな女性が堕ちて行く様や自業自得でご愁傷様、と
いったストーリーのものに自ら手を出して来た。「グロテスク」はさすがにあんな凄い内容だとは
思ってなかったが^^;もしかして、女性に厳しいのは女性であるのか。残酷になれるのは
本当は女同士なのか。
それなら、自分の矜持の部分が本書が完全な創作である事を認めている事になる。自分は
面白いものが読みたかった、いつでもそれだけだったのに。別に憤る必要もなかったが、
自分がこの作品を読んで何かを得られた、とはやっぱり思いにくかったりもする。