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ささら さや  (ねこ3.8匹)

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加納朋子著。幻冬舎文庫


事故で夫を失ったサヤは赤ん坊のユウ坊と佐々良の街へ移住する。そこでは不思議な事件が次々に
起こる。けれど、その度に亡き夫が他人の姿を借りて助けに来るのだ。そんなサヤに、義姉がユウ坊を
養子にしたいと圧力をかけてくる。そしてユウ坊が誘拐された!ゴーストの夫とサヤが永遠の別れを
迎えるまでの愛しく切ない日々。(裏表紙引用)



弱虫で繊細で内気な新米ママ、サヤ。彼女を包み込む、周りの人々との交流がとても温かい。
だけど全体的に漂うのは大きな悲しみで、さらにこの物語から感じるのは「生きている人間の強さ」だ。
最愛の夫を亡くし、生きる気力を失ってもお腹はすくし睡眠は必要だし働かなくてはいけない。
(子育ても立派に労働だ)物語では死んだ夫が他人に乗り移り、ゴーストとなって登場するが、
それがサヤの心の支えとなっているのは間違いなくとも、現実にサヤに必要だったのは
間違いなく生きているユウ坊と、変わり者の婆さん三人組&ヤンママ・エリカさんの存在だった。

自分がこういう境遇に遭ったらここまで強く生きられるのだろうか。
想像するだけで恐ろしくなって来る。なぜなら、環境に恵まれるというのはやはり
ホームレス中学生』(by 田村裕)でも感じたが、本人の人徳の成せる技じゃないかと思うから。
サヤも田村も決してそれでも苦労や災難は続いたが、愛された人間は心に芯を持っている。
日常で自分は「どんなに生活や性格がとんちんかんでも、身内や一緒に働く人間を裏切るような
真似だけは絶対にするな」と言う事がある。そういう人間は、今は良くとも歳をとった時に
何も残らないから。


私は映画でも何でも近しい人間が死んでしまう物語は好きではない。名作もあるのだろうが、
いい人が死んだら見てる側が悲しいのは当たり前で、涙を流せばそれはいい作品か、と常々
思っているから。現実で遭遇する汚いもの、周りの身内の残酷さ、関係なく流れる日常。
その全てを描き、その先を見据えようとする加納さんの物語はとても魅力的だ。