すべてが猫になる

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スロウハイツの神様  (ねこ5匹)

辻村深月著。講談社ノベルス上下巻。


売れっ子脚本家・赤羽環が管理する「スロウハイツ」では、彼女のお眼鏡に適った6人のクリエイター
達が共同生活をしていた。その中の一人は今をときめく売れっ子作家・チヨダ・コーキ。
十年前に発生した、彼の猟奇的ファンが起こしたチヨダ作品模倣殺人事件は彼の環境を蝕み、
一時は筆を折ったが、新聞記事に投書されたファンからの応援を機に見事復帰した。
そして、スロウハイツから退居したエンヤのかわりに出現した莉々亜という少女は、コーキの
大ファンであると同時になにやら謎めかしい雰囲気を持つが。。。




辻村さんはノベルス上下巻や上中下巻といった大長編をよく描かれる作家さんで、
その評価は好評であっても「長さを感じさせない、無駄がない」よりは
「序盤が退屈で冗長だったが」という意見の方が多く見受けられる。(私もたまに言う^^;)
今作ではその心配はなかったと思ったが、絶賛の嵐であっても世間ではそこは変わらなかったよう。
読みながら「こんなに最初からいいのに」と思っていた自分なので、何がそこまでそうなのか
少し考えてみた。


辻村さんの描く登場人物は、作者ご自身を投影しているのではないかと常に思って読んで来た。
通常ならば、作品の主人公であるとか、そのパートナーであるとか、主要な一定の人物に限って
その個性を表現される事が一般的だと思う。でも、辻村作品は違う。性別、年齢、職業、
それらの皮を被って全ての登場人物に自らを切り売りしているようなプロ根性がちらついて
それが私を惹き付けて離さないのだ。
なぜかって、多分失礼を承知で言わせてもらえれば、自分と似ているのだと思う。
好きなものへのこだわりや思いつめ方、自分自身や関わる人間への距離感、それらが
どこまで読み進んでも作品を変えても共通し続ける。単純な恋愛性癖や気が強い弱いと言った
性格的なものではなく、だからどんなキャラの視点で読んでもそれは自分なのだ。
しかも、ある条件下での感情、育った環境ゆえのそれを言葉で表現するのが巧い。
特別文章がいいという評価を得ている作家さんではないと思うが、
辻村さんの小説は私にとっては心の広辞苑だ。


本作では10人程度の主要キャラクターが使われているが、中には「ん?こいつは胡散臭い。。」と
思ってしまう人物もいる。すると、最後には決まってその人物は自分には必要のない、
黒い色をした駒だった事が判明する。そこも面白い。


ストーリーとしては、作品そのものが大きな伏線であり、全ては最終章の為に描かれた
巧みなものである事がわかる。ラストにサプライズを用意し、読者の散らかった頭の中を
丁寧に収束してゆく技は辻村さんお得意のもの。
環の不幸な子供時代も、コーキの掴めない言動も、憎まれ役の媒体も、友人達の青い恋愛も、
どこにも無駄なんてなかったのに。
私には前半が退屈だったなんてとても言えないよ。




そして辻村さん読破~~~v(^^)v
好みとしては、どうしても大好きなドラえもんもの『凍りのくじら』に負けてしまうのだけど。
あの作品のような「ノンストップの面白さ、ハラハラする怒濤の展開」ではないかもしれないけれど、
本作は辻村さんの最高傑作だと思われます。