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変身  (ねこ4.2匹)

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東野圭吾著。講談社文庫。


平凡な青年・成瀬純一をある日突然、不慮の事故が襲った。そして彼の頭に世界初の脳移植手術が
行われた。それまで画家を夢見て、優しい恋人を愛していた純一は、手術後徐々に性格が変わって
いくのを、自分ではどうしようもない。自己崩壊の恐怖に駆られた純一は自分に移植された脳の
持ち主の正体を突き止める。(裏表紙引用)




先日、ふと立ち寄った本屋に『東野圭吾 全文庫目録』というちらしが積んであった。
「ム…(ーー)」
となにげなく鞄に入れて電車の中で熟読。
『05’年映画化作品 脳移植手術を受けた青年は徐々に性格が変わって行った。。。』
おおー!面白そうな本じゃないか!そう言えばコレ、家にあったな。。という事で早速本棚から
抜き出して読む。
ところで最近続けて読んだ傑作群は次々と無理矢理同僚に貸している。『盤上の敵』を
「北村さんは凄いからぜひ!」と押しつけ、『流星ワゴン』を「やっぱり傑作だった!北村さんより
先にぜひこちらを!」と押しつけ、そして次に読んだコレに至っては「この中でこれが一番かも!
重松さんより先にぜひこっちをまず……!!」と強引に机に乗せてやった。


しかし、どうだろう?確かに一番好みだったのはこの『変身』だが、一般的に言うところの
傑作、という意味では「流星→盤上→変身」、という気がしなくもない。実際点数だって
一番低い。とは言っても、「ピザとお好み焼きとうどん」でどれが一番美味しかったか、
という「違うから比べられないんですけど」的なナンセンスな話に近く、ずばりどうでもいい。
自分がどうしてこれが好きなのかなー、最後結構がっかりしたし、女の子の父親の存在を
もっと生かして欲しかったし、恋人の女性は男性から見た幻想に近いし、設定自体は
まるでファンタジーだし。とか考えてしまうと、やっぱり自分は東野さんの描く「人間像」が
どんな作家にも勝る「根本的な部分」に基づいているからかなー、と考えこんでしまうのじゃ。


ストーリーはあらすじのまんまで、脳移植をした気の弱い優しい保守的な青年が、手術後は
女性の好みが変わり、絵に興味がなくなった分音楽センスが開花し、会社ではイエスマンだった
彼が同僚や上司に食ってかかり、そして殺人願望が……というエキサイティングなお話。
この「徐々に変化して脳が他人に浸食されていく」様がもう本当に巧いのだ。
ドナーが誰だ、研究者達の企みは何だ、という謎の部分ももちろん面白いのだが、
(とは言ってもそれは容易に想像がつくんだけど^^;)物語の核はこちらではないと思う。

変わる前の彼は前述した通りおよそ情けない、男らしくない、才能もない普通の青年で、
自分の人生をしっかり自分の足で踏みしめて生きている、とはとても言えなかったはずだ。
乗り移られた人格が異常すぎた為に非常にわかりやすく伝わるようになってはいるけれど、
もしこれが全ての男性が憧れるような立派な人格に変わって行くといったような設定であったと
しても、辿り着く結論は同じだったように思う。
自分に手の届かない芸術的才能、頭脳明晰さ、生活環境、理想的な恋人が手に入ったとしても
それは絶対に自分ではなく、社会的立場や意識は関係がないということ。
私だって、こうなりたいああなりたいという願望は人より多いくらいだけど、それが叶って
自分ではなくなるのならばお断りだなあ。まず自分の意識があって、自分の意志で、
自分として叶えたいもんだし。それで手に入らなかったとしても、別の人間になるぐらいなら
それはそれで自分でいる方を絶対に選ぶ。


そんなこんなで、東野さんは凄いなあといういつもの結論。
この作家さんの作品はどれを読んでも新鮮で飽きが来ない。代表作とか別にいらないぞー。