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華氏451度/Fahrenheit 451 (ねこ4.1匹)

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レイ・ブラッドベリ著。ハヤカワ文庫。

その世紀の、その世界が禁じた本を焼き捨てるのが、焚書官モンターグの任務だった。その世界の
人びとは、<海の貝>と名づけられた超小型ラジオを耳にはめこみ、部屋の巨大なテレビ番組に
没頭して、書物がなくとも幸福に暮らしていた。だがモンターグは、ふとしたことから恐るべき
秘密を持ってしまった……!(裏表紙引用)


あらすじを知らない人はいないぐらいの名作で、SF入門編としてまずこれを読まないと
話にならないらしい。それを聞きつけた私は早速手に入れて読んだ。さすが名書は違う。職場の
近所にある、「伊坂幸太郎の『終末のフール』置いてませんかー」と質問したら
5回くらい当てる字を説明しないと通じなかった店員さんが在籍するようなしょぼい本屋ですら堂々と
陳列されていた。でも倉庫から伊坂さんを探して来てくれたので許しましょうvでもきっと彼は
星新一も知らないんだろうな。。。

話それました。
名作の呼び声に嘘があるはずもなく!設定は本好きが聞いたらもだえ苦しむような発想で、
また一見しただけでは意味不明だったがインパクトのあるタイトルが衝撃となって惹き込ませる。
(ちなみに華氏451度とは摂氏にして約220度C、紙が引火し燃え出す温度らしい)
本を読む事どころかその存在すらも徹底的に唾棄され、それが当たり前となった人間達。
物を考えるな。命を粗末にしろ。道ばたの花に立ち止まるな。感動するという心を奪い取れ。
そうして出来上がった「常識的」な世界。
その中で、人生の真実に気付いてしまった異端者たち。
本が読みたい。歴史が知りたい。学をつけたい。他人を殺したくない。配偶者と愛し合いたい。
しかし受け入れられない。そう考えた時点でもう犯罪者の烙印を押されるのだ。

キーパーソンとなった異端児である少女の存在は、彼女が存在しなくなった後半にこそ
生きていると感じる。たった一人では世界は変えられないが、主人公であるモンターグは
苦しみ葛藤し、この世界に依存しながらも様々な人間と出会う事で変わる。
物語としても目がはなせなかったが、現代に生きる自分にも耳が痛いようなフレーズが
頻出され通しで思わず唇を噛んでしまった。
他人に聞かせる為に生まれた言葉でないもの。まさに今書いてるような言葉はそれと
対照的かもしれない。読んでくれる人の存在を無視しては私は書けない。

本書には、ありえない完全なノンフィクションでありつつ普遍的なテーマがあちこちに
ばらまかれている。それが現代も読み継がれている理由だろう。
良かった、この本焼かれなくて。。