すべてが猫になる

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オルファクトグラム (ねこ3.5匹)

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井上夢人著。講談社ノベルス

チャーリー・ブラウン」というインディーズバンドに所属している片桐稔は、出来上がった音源を
姉の千佳子に聴いてもらうために彼女の住まいへ向かう。だが、稔が発見したのは侵入者の跡と
酷い暴行を受けた彼女の姿だった。そして稔は背後から後頭部に襲撃を受け、1ヶ月間生死を彷徨う。
姉は助からなかった。
やがて失意の稔は、自分の鼻が異常な程の嗅覚を取得している事実に気付きーーー。
2001年「このミステリーがすごい!」第4位作品。


文庫上下巻なのでこっちで買った方が安いわ~vとノベルス古本で購入。ずっしりと厚みのある
650ページの重量に左手が悲鳴をあげ、早々に「文庫にすれば良かった」と後悔するはめになる。
これで弱音を吐いていれば『邪魅の雫』に堪えられまい。そう自分を励まして読了した。

毎回独特の世界観と美しい文章で楽しませてくれる井上作品だが、本作は期待しすぎたのか
少々ダレぎみの読書となった。と言うのも事件そのものの面白さは希薄で、内容の半分以上を
「イヌ以上の嗅覚を持った人間」の説明文で占められていたからである。匂いを「視覚」で
感知するという稔の嗅覚、人それぞれ持つ匂いは様々で、オレンジ色であったりルビー色で
あったり、ねじれた短冊状だったり手裏剣が歪んだようだったり。さぞ美しい宝石のような
映像なのだろう、と想像力を膨らます井上氏の「表現力」には感服する。
が。やはり自分は「ストーリーが動くもの、喜怒哀楽感情が動くもの、揺さぶられるもの」が
好みであるため中盤は少しうんざりしてしまった。
結局やっと物語が動きだし、面白くなって来て身を乗り出し始めたのは500ページも
過ぎてからである。
井上氏にしては珍しく癒し系というか、しっくり纏まったエンディング。元々「わけわからん」と
気に入りながらも不満も口にして来た私だが、こうきちんと纏められてしまうと
これはこれで物足りないのは勝手すぎるだろうか。。

本人には一番確信的な「匂い」も、一般生活、警察ではそれほど微弱で頼りにならないものは
ない。彼のとりまく世界は彼だけのものであって、他人とは例え家族であっても恋人であっても
共有できない。そして、自分だけの世界を持ってしまった彼に対しても、他人から見れば
距離感を感じてしまう。彼の心の孤独や失望、哀しみの書き様は非常にリアルで、
またひとつ井上氏は独自の世界を確立したように思う。彼にしか書けない。これ以上の
作家としての武器があるだろうか。

しかし、稔の恋人である「マミ」ちゃんの匂いがオレンジ色の粒子やルビーの煌めき、と
いうのは「男子のロマン」を感じてしまう。意地悪くも私は苦笑しっぱなしである。