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四日間の奇蹟 (ねこ2.8匹)

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浅倉卓弥著。宝島社文庫。第1回『このミステリーがすごい!』大賞・大賞金賞受賞作。

天才ピアニストとして名を馳せていた青年、如月敬輔は、ドイツ訪問中に犯罪に巻き込まれ、
薬指を失う。夢を理不尽に絶たれた敬輔は、その時に指と引き換えに命を救った少女・千織と共に
日本へ帰って来た。千織は脳障害を持っており、身寄りがなかった。何かの縁と千織の保護者として
同居する事になった敬輔。ある日、敬輔は千織が素晴らしいピアノの才能を持っている事に
気付き、指導する事になった。
そして、ピアノでの慰問活動を続ける2人は山奥の診療所で不思議な事件に遭遇する。



書評の嵐のような賛辞がやたら胡散臭い物に感じてしまう作品だった。
「新人として光る才能」「ラスト感涙」「10年に1人の大型新人」というアレだ。
たしかに新人としては文章力、発想のセンスはある。文章は私は平凡だと思うのだが、最近の
新人作家、若い作家で問題にされているおかしな日本語や(会話文の故意と思われるものは除く)
間違った文法の乱用はなかったと思う。
「完璧な作品などない、キズのない玉はない。肝心なのはその中で光る才能を発掘し世に
送り出してやる事だ」。これもこの作品ならわかる。
物語中の核である「アクシデント」のありがちさも、指摘するまでもなく自覚済みであろう。

この作品の長所は、飽きさせない展開と素材の魅力、音楽に対する造詣の深さ、
人物の背景、心理の「説明力」だと思う。「描写力」には疑問だ。
台詞にやたらと自立語が多用されていてキャラ作りと好意的に見るよりは
そこを自身の言葉、文章で表現するのが小説家ではないのか?と新人としてのボキャブラリーの
少なさを痛感した。

では、物語としてはどうか?

真理子が「奇蹟」の対象に選ばれたのはなぜだ??
果たしてこれは「奇蹟」に遭わなければ気付けないような事だったろうか?
苦労をしていようと仕事に忙殺されていようと彼女は健常者である。
主人公と、千織の存在の前に彼女にスポットを当てたのは、
彼らの駒として大役を果たしたのだろうか。
つまりこれは素晴らしい恋愛小説だったのか?
やっぱり好みの問題である。

蛇足だが、
去年、同賞の候補作に上がり出版された上甲宣之『そのケータイは××で』を読み憤った事がある。
読ませる迫力は圧倒的に上甲氏が上だが、文章力や小説としての完成度を比べると
やっぱり本書は紛う事なく「受賞作」だと思った。