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上手なミステリの書き方教えます (ねこ3匹)

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講談社ノベルス松浦純菜シリーズ第3弾。

待望の新刊である。買うのは早いが読むのに一定のインターバルを置く自分が
購入して速攻読了、そういう作家は片手の指程しかいない。しかも、この本だけのために
本屋を計4軒廻った。いざ読み終わってしまうと、祭りの後のようにわびしい気持ちに
なるもんだ。風も心無しかいつもより冷たく感じる。
寝言はさておき、毎回第一段落にはあらすじを書くのが通例だが今回わざと端折らせてもらった。
手抜きじゃない。
書き出しが「じゃあ、私のパンツをあげるって言ったら?」で始まるようなミステリに
どんなあらすじを紹介したってこのインパクトの前には無効である。

このシリーズが好きではない、というのはあちこちで吹聴したが、本作でその気持ちに
拍車がかかったと告白しておく。
読まれた方は、それを聞いて苦笑されるだろうか。
中盤のほとんどが「萌え」小説糾弾のためにページを割き、イジメられっ子剛士の
行動しないが理屈だけはいっちょまえのいじいじ話に終始し、挙句の果てには
西澤保彦もびっくりの萌えの萌えによる萌えのための官能小説ときた。
こういう内容に眉をしかめるほど若くもないし固くもないつもりだが、
自分の意志なくして読みたいものではあるまい。

そこはまあ「浦賀だし」と納得してクリアできるのだが、「結末圧倒的感動」とは
大風呂敷だ。(ここは氏に責任はないが)
この結末のシーンに感動できるか?
読者は誰もが常に裏を読んでその中にある暗喩やメッセージを哲学的に分析するとは限らない。
作中でそれを揶揄したのは浦賀さん、貴方じゃないか。
これはそのまま、描かれた通り「なんて幼稚なオチだ」という印象しか私は持つ気はない。


さて、当の剛士だが、背中を押されたとは言え明らかな前進のきざしが見えて来たようだ。
作者の蘊蓄はさておき、キャラに罪はない。次作からの成長にさらなる期待を。
始終けったいな小説だったが、作中作の人物の前向きな精神移行を浦賀氏に投影するのは
穿ち過ぎだろうか。なんであれ、このまま作者には自分の書きたいものを自由に
書き続けて欲しい。今回、少し(かなり)文句が過ぎたが愛情の裏返しである。

きっと次作も私は「うらがかずひろという人の『八木剛士史上最大の事件』
という本なんですが~~」とあちこちの本屋で醜態をさらすのだろう。
そんなあまのじゃくな自分は嫌いではない。