すべてが猫になる

ヤフーブログからお引越し。

スター  (ねこ3.8匹)

朝井リョウ著。朝日新聞出版。

「どっちが先に有名監督になるか、勝負だな」 新人の登竜門となる映画祭でグランプリを受賞した 立原尚吾と大土井紘。ふたりは大学卒業後、 名監督への弟子入りとYouTubeでの発信という真逆の道を選ぶ。 受賞歴、再生回数、完成度、利益、受け手の反応―― 作品の質や価値は何をもって測られるのか。 私たちはこの世界に、どの物差しを添えるのか。 朝日新聞連載、デビュー10年にして放つ新世代の長編小説。(紹介文引用)
 
大学の映像サークルで知り合った2人の青年、尚吾と鉱。ぴあフィルムフェスティバルでグランプリを獲った2人は一躍脚光を浴びる。本物の映画、映像をひたすら追求する尚吾と、知識はないが瞬間的に生きた映像を撮るセンスに長けた鉱の対照的な2人は、いつか有名な映画監督になる日を夢見て社会へ巣立つ。やがて本物の役者を使い本物の映画を撮る念願の鐘ヶ江組に監督補助として参加できた尚吾だが、一足早く鉱は映像の世界で成功していた。それは本物を求める尚吾には理解の及ばない世界、you tubeだった――。
 
真逆の方向へ進み始めた2人が対立する物語かと思ったが、「本物」を求める精神はどちらも共通している。アマチュアが素人レベルの技術の映像でスターになれるyou tube
や才能がないのに映画サロンを立ち上げ200人もの会員数を誇る後輩、本物の映画を撮っても映画館はガラガラ、時代は変わり人々の価値観は細分化され、2時間の本物の映画よりも時間を埋めるための娯楽映像を人々は求める。
 
自分は結構毎日のようにyou tubeを観るほう。一方で、「本物」とやらにも若い頃から触れてはきている。だからどちらの価値観に分があるかと言われてもどちらも間違っていないと感じる。価値観や触れ合い方は変化しても、確かにそこにある良いものの質が落ちるわけではないし、バズっても数日間で流れて行ってしまうゆるい動画を求め楽しむ人々の欲望がそれに劣るわけでもない。若い頃なら尚吾らの「認めたくない」考えの方を支持したかもしれないが。答えのないものを追求しているので、全てを認める心と自分自身を裏切らない信念、というものにやっぱり落ち着くのかな~と。作者がテーマについて日々深く考えているのは伝わった。物事を俯瞰で見るセンスに秀でている。小難しい議論ばかりで真剣に読んでいるとちょっと疲れるが、興味のある分野だったので面白く読めた。
 
でも結局、「認めたくないけどこの流れは止められないわけで大人として認めないとしんどいから認めましょう、というスタンス」が尚吾みたいな人種の本音だと思うんだよな~~~。心の底は苦々しく思っていると思う。