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坂の途中の家  (ねこ4匹)

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角田光代著。朝日文庫

刑事裁判の補充裁判員になった里沙子は、子供を殺した母親をめぐる証言にふれるうち、彼女の境遇に自らを重ねていくのだった―。社会を震撼させた乳幼児の虐待死事件と“家族”であることの光と闇に迫る、感情移入度100パーセントの心理サスペンス。(裏表紙引用)
 
乳幼児虐待死事件をテーマにした物語。本当に読んでるのがキツくて、不愉快で、しかも長くて(500P弱)よっぽど感想をアップするのをよそうかと迷ったが…。思ったままを書くことに。
 
仕事を辞め、妊活の末長女を授かった水穂が、育児に悩んだ末追い詰められ長女を自宅の風呂に落とし死なせてしまった事件。その事件の補充裁判員となった専業主婦の里沙子が、裁判に参加するうちに水穂を自分に重ね合わせ、夫陽一郎に対する疑問や自分というものの性質を自覚していく。
 
虐待死自体読んでいて辛いのは当然だが、読んでいて真実辛いのはその点ではない。ごく普通の人間が、周りの人々の影響でどれほど追い詰められるか、孤独がどれほど人を打ちのめすかということをこれでもかと細かく描写した物語だった。正直水穂や里沙子が夫から日々受けていたモラハラのいやらしさには心底吐き気がした。重要なのは、肉体的暴力がないものに対して、人はどれほど無理解で残酷なのかということ。「自分なら言い返す」「被害妄想が強い」「殴られたり怒鳴られているわけではないだろう」「皆それを乗り越えている」。これらの言葉を刑事や裁判官、裁判員、義父母、実母、ママ友が悪意なく発してしまう。他者にいくら説明しても、こればかりは体験したものにしか分からない。夫が言葉の端々にチラチラと見え隠れさせる妻への「攻撃」が次第に妻から自信を喪失させ、闘う気力を、頼る気力を奪ってしまうのだ。確かに里沙子も水穂も、気が弱いしそれなのに余計なことを言うし、間も悪い。なぜなら結婚前にモラハラの片鱗は見えていた。全て自業自得、自分がまともに考えることを放棄し、結婚という甘い蜜に盲信した結果だ。だが、判断力の鈍い時期、男に言い返せない弱い人も確かにいるのだ。理由もなく配偶者を攻撃する人がいるわけがない、あなたにも問題があったからだという決めつけこそが恐ろしい。この裁判の過程で、裁判員たちが正論や常識で勝手に水穂の物語を作り上げる様には震えがきた。まるでこの人間社会そのものを映し出しているよう。自分の強さや思い込みを信じて疑わない人が一定数いる限り、これからもこういう悲しい事件は起きてしまうのだろう。結局他人には他人のことは分からない。そう結論づけてしまうと、なんとも虚しくてならないのだが…。
 
あと、裁判員というものがこれほど大変だということを知って驚いた。10日間、9時17時まで拘束とは…。補充でも全部参加しなきゃいけないとは…。裁判員をやったことのある人の精神面サポートの会があることも。ちゃんと臨床心理士による無料のカウンセリングがあるそうな。そこまで精神的負担が大きいんだろうな。特にこういう事件だと。