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ヒトでなし 金剛界の章  (ねこ3.8匹)

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京極夏彦著。新潮文庫

「死にたいん―です」「なら死ねよ」。娘を亡くし、妻だった人に去られ、十五年勤めた会社を解雇された。全てを失い彷徨していた尾田慎吾は、雨の夜、自殺を図る見知らぬ女にそう告げた。同日、旧友荻野と再会する。彼は、情、欲望、執着を持たぬ慎吾を見込んで、宗教を仕事にしないかと持ちかける。謎めいた荒れ寺に集いし破綻者たち。仏も神も人間ではない。超・宗教エンタテインメント。(裏表紙引用)
 
京極さんの新シリーズ。何がどうシリーズなのかイマイチ把握できないが、(「ヒトごろし」とは違うのかな?)まあ面白かった。
 
宗教小説だと言うから、一般人が教祖に成り上がっていく話なのかと想像したら全く違った。そりゃそうだ、京極さんだもの。
 
主人公の尾田は、娘を亡くしても泣くことも悲しむことも上手にできない。そんな夫に業を煮やした妻は尾田に離婚をつきつけ、上の娘とも自分とも一切接触しないという念書を夫に書かせる。呆然と無気力化した尾田は仕事もクビになり、家も失い、街を放浪する。その時に出会った自殺願望のある危ない女・塚本に見初められ付きまとわれる。元同級生の荻野と再会したことが縁で、大金持ちの塚本を利用した犯罪事に関わることになるが――という話。
 
荻野が新興宗教を作るのかと思ったが、実は荻野が寺の息子だったというのがキモ。ヤクザまがいの少年が目の前でヤクザを刺殺したことからその死体を登場人物全員で隠蔽しようとするというとんでもない展開に。荻野の祖父もかなりイってしまってるなあ。誰も通報しないっていう。実際には尾田がいかに人でなしかを自分で考察し周りの人間に訴えるのだけど、伝えたいことと違うふうに全て伝わるのが面白い。尾田は人生を諦観し自暴自棄になっている風なんだけど、周りは尾田の自説を聞くと「尾田さまー!」みたいな感覚が芽生える、そういう効用があるというか。。自殺を踏みとどまる者も二名ばかりいるし。自殺願望のある人が死ねとか人を殺した人がどうでもいいとか言われると逆に「あれ?」ってなっちゃうもんなのかな。尾田の価値観は本当に人でなしで、ひどいなあと思うものではあるのだけど…正直、わからんでもないなと思うところもあった。人って皆そうなのかなあ。我が身となると、どこか内心冷めてたり。。腹の中で結構人でなしな事を思うことが多い自分には、「人間ってそういうもの」「実はみんなそう」だということにしたほうが安心だってことなのかも。尾田に言わせると、こういうことに拘ることがまだダメなんだろうけどね。