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手斧が首を切りにきた/Here Comes a Candle (ねこ4匹)

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<ろうそくが、おまえのベッドを照らしにきた。そして手斧が、おまえの首を切りにきた>……19歳の青年ジョー・ベイリーは不気味なマザー・グースの歌を思い出すたびに、少年の日の忌まわしい記憶にさいなまれた。いまは町のボスのもとで宝くじ賭博の手伝いをしているが、両親はなく一人暮らしだった。そしてある日、二人の女性を知った。一人は同郷の可憐な少女、そしてもう一人はグラマーなボスの情婦――。40年代後期のアメリカの地方都市を舞台に一青年を中心に繰りひろげられる青春の詩。ブラウンが趣向を凝らして描く初期の長編異色作。

 


創元推理文庫復刊の1冊。てっきりブラウンのデビュー作だと思っていたが、長編8作目らしい。ブラウンに触れるのは久々なのではっきりとしたことは言えないが、確かに異色作であろうと思う。と、言ってもブラウンは「異色作家短篇集」シリーズに選ばれるぐらいだからどの作品も異色なのだろうが。

 

本書の奇抜さは、その小説形式に他ならない。「ストーリー」と呼ばれる主軸となる物語を展開させながら、合間合間にラジオ、映画、スポーツ放送、ビデオ、演劇の台本形式で物語を描いているこの手法は、単に「異色」と言うだけでは留まらないものだ。

 

ストーリーはそれほど凝ったものではない。あるチンピラの男が2人の女性に惹かれ、自分の人生をやり直したいと思いながらも過去の忌まわしい記憶や恐怖症に苛まれ、苦悩するこの物語は時に私をモヤモヤさせた。ごく普通の素朴なウエイトレスとの平凡だがささやかで幸せな生活を取るか、容姿端麗で刺激的な女性との危険だが夢のある生活を取るか――。ジョーはこう語る。「どうして女にはその両方が備わっていないのだろう?」ふざけるなである。反省していれば犯罪さえチャラだというような、ジョー含む登場人物の異常な価値観も違和感があった。こういう人種とは絶対分かり合えることはないだろうな。

 

さておき、それでもジョーとエリーの純愛を応援したくないと思うほど私も鬼ではない。ちょっとうまく行き過ぎかな?と思うような展開からまさかのジ・エンドには目が点になった。ああ、ジョー……(;_;)
今でこそ珍しくないのかもしれないが、この時代にこういう奇才めいた作家がすでに今の先をやっていたことにただただ驚く。なんかよく分からんだろうが、こういう小説は読んでもらわないことにはどう説明してもきっと伝わらない。