すべてが猫になる

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猫鳴り  (ねこ3.9匹)

 

ようやく授かった子供を流産し、哀しみとともに暮らす中年夫婦のもとに一匹の仔猫が現れた。モンと名付けられた猫は、飼い主の夫婦や心に闇を抱えた少年に対して、不思議な存在感で寄り添う。まるで、すべてを見透かしているかのように。そして20年の歳月が過ぎ、モンは最期の日々を迎えていた……。「死」を厳かに受けいれ、命の限り生きる姿に熱いものがこみあげる。(裏表紙引用)


わずか200ページ弱の長篇文庫。「彼女がその名を知らない鳥たち」と迷ったのだが、一度沼田さんで痛い目に遭っているので薄い(安い)コチラにしてみた。「猫」ってところがちょっと腰が引けたんだけどね。普通なら猫が出てくる、わーい♪の私だけど、沼田さんだからね。。怖い猫とか猫虐待ものだったらヤだなーと(ひどいイメージ)。

 

本書は三部作となっている。第一部の夫婦は歳を取ってから出来た子供をお腹の中で亡くし、猫にその子供の面影を見出し心の支えにせんとする。最初は捨てても捨てても戻ってくる仔猫にわずらわしさと不気味さを感じていた夫婦だが、「自分がここに捨てた」と主張する少女がやって来てから状況が変わって来たようだ。最初は悲壮感すら漂っていた小説に体温が宿るかのような、淡白だがしんみりと温かい物語。

 

第二部はガラっと雰囲気が変化する。語り手が、父親と世の中すべてに不満と殺意を抱く「キレやすい少年」にバトンタッチするからだ。よくもまあここまで屈折したものだと言いたくなるような、そして疚しい願望を実際に行動に移してしまう悪辣さは読んでいて不健康さしか感じない。このあたりはさすが沼田まほかる。破壊願望を持つ少年に光はあるのか。

 

そしてこの第三部こそがこの小説を傑作たらしめたものだと思うが、語り手が第一部の夫婦の夫に変わる。これと言って派手な出来事は起こらず、妻を亡くしてからも猫と共に生き、猫が自然とあの世へ旅立ってゆくまでの「生活」が淡々と語られる。それはまさに、これこそが自然の姿だといわんばかりの生々しさ。日に日に弱っていく猫をどうにかしてやろうと駈けずりまわったかと思えば、猫の好きなようにさせようと達観していく様、出会った人々のあたたかさは読んでいて見本にしたいぐらいだ。決して感動を狙ったわけでもなく、奇を衒ったわけでもないありのままの筆致に、自分は今までこの作家さんを誤解していたかもしれないなどと殊勝な気持ちになったのは否めない。この物語の終結を飾った夫は、猫を見て、猫で学び、自らの人生をそれになぞるのだろう。


最後にちょっとミソをつけるわけではないが、それにつけても第二部だけが異様に浮いていたような。。