すべてが猫になる

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アクロイド殺し/The Murder of Roger Ackroyd  (ねこ4.5匹)

平穏な村・キングス・アボットで、1人の未亡人が毒を呑んで亡くなった。村人の間では自殺の疑いが強まったが、未亡人を死に駆り立てた動機は村の地主ロジャー・アクロイドとの親密な関係にあった。数日後アクロイドと交流の深いシェパード医師が不審な電話を受けアクロイド邸に駆けつけると、彼は無残な他殺死体で発見されたのだった。衝撃で混乱するアボット村の人々をよそに、シェパード医師の隣に引っ越して来た謎の男が立ち上がるのだが。。。



クリスティ6作目の長編で、ポアロシリーズ長編第3弾にあたる本書。クリスティの知名度と評価を決定づけた最初の作品で、ミステリファンでなくともタイトルすら知らない人は居ないぐらいの代表作である。クリスティ・ベストに本書を挙げる方も多いだろう。
また、本書は当時フェア・アンフェアの物議を醸した事でも印象深い。かくいう自分が最初に読んだのは中学生の頃で、本書で初めて「アンフェア」という言葉を知った事を覚えている。今更この作品を糾弾する手合いは見掛けないが、それは本書以降さまざまな「真似っ子」ミステリが雨後の筍のごとく出現したからで、本書のアンフェアたる弱点を払拭し手法を変えた優れた作品を生み出し続けて来た多くのミステリ作家達の功労だろう。本書はアンフェアはアンフェアなのだ。そしてどの部分がアンフェアなのかも書評を巡れば一致した見解にいくらでも出会えるからここでは敢えて述べない。ただ、その点のみを挙げつらって作品としての面白さや功績に目を向けないのはあんまりにもあんまりである。


とりあえずその点は一応外せないので述べておいただけなので、ここからはゆきあやの本書への感想をひとつ。なぜ「あんまりにもあんまり」だというエゴのような言葉を吐いたのかと言うと、自分がかつてその1人だったからである。若い頃2,3度読んだ上に映画まで観た。が、自分にとってこの作品はずっと
「ズルいミステリ」という位置づけだったのである。ゆえに、マイ・クリスティベスト10には絶対に入らない作品だったのだ(今も入らないのだが、笑)。「敗北」を認めない事に固執していたかったのかもしれない。ヘイスティングスが登場しないからだったのかもしれない。その思い出があったので、今回新装版を読むにあたり、「卑怯な記述」がないかを目を皿のようにして探りたかった。ぎんぎん。

結論。そんなものはなかった。

読み始めてしまったら、どうでも良くなった。

だって、自分、犯人知ってるのよ?

なのになぜこんなに面白いの?なぜポアロはこんなにキュートなの?(引退したポアロさん、栽培したカボチャを窓からぽいぽい投げてます、笑)怪しい家政婦!わざとらしい執事!存在感のあるメイド!イケメンラルフ行方不明!アクロイド夫人の茶番劇!娘フローラ挙動不審!謎の気持ち悪い男!うさんくさい秘書!豪華絢爛の舞台は完全に整っちゃってまあ。ポアロが発見するささいな手がかりの品々と、頭がおかしいと警察に評価される言動の数々。全ての人間が何かを隠している!!劇的な展開!ポアロの目を欺くのは不可能だぜ!誰だ「あの男は引退した理容師だ」と言ったのは!

ぜえぜえ。
全部の事象を繋げるミステリもいいけれど、どれが重要でどれが無関係かを1つ1つ探って行くのもまたミステリの醍醐味。犯人の意外性だけに目を向けていたけれど、それでなくとも十分楽しめる作品だったんだな、と思った。読んでいる間ずっと自分は10代に戻っていたもの。あれから20数年、色々なものに夢中になって来たけれど、これだけはずっと自分の中でブレていないものなんだな。ゆきあやはミステリが好きです。クリスティが大好きです。