すべてが猫になる

ヤフーブログからお引越し。

闇の底  (ねこ3.7匹)

イメージ 1

薬丸岳著。講談社文庫。

子どもへの性犯罪が起きるたびに、かつて同様の罪を犯した前歴者が殺される。卑劣な犯行を、殺人で抑止しようとする処刑人・サンソン。犯人を追う埼玉県警の刑事・長瀬。そして、過去のある事件が二人を結びつけ、前代未聞の劇場型犯罪は新たなる局面を迎える。『天使のナイフ』著者が描く、欲望の闇の果て。 (裏表紙引用)


これは想像していた作品とは違った。
幼女殺害事件の被害者遺族が、出所した犯人に制裁を加えるというお話だと思っていた。テーマ自体にそれほどのズレはないが、まさか被害者遺族でなく妻子を持つ幸せな”男”が性犯罪者を恨んで犯行を重ねるものだとは。男はフランスの死刑執行人に倣い”サンソン”と名乗って警察やマスコミに犯行現場の映像や犯行声明文を送りつけるのだ。犯罪者の抑制は法ではなく「恐怖」しかない、という思い込みによって。そして男の思惑通りに、世の中は多くのサンソン擁護者を生み出す事になる。

これは一体どうなんだろうか?
正直言って、最初からの自分の感想はコレだった。身内が被害に遭って犯人に私刑を下す、というならその気持ちが1ミリもわからない、と言う人間は居ないだろう。が、我が身に被害が降り掛かっていないのであれば、この行動は異常ではないだろうか?これが自分が信じる「一般論」だと思っているが、まさか違うのだろうか?この作品を読んで、読者はその二つの心の間で揺れ動き”考えさせられる”というのか?確かに警察が犯罪の抑止力にならない事は多く、その非力さを嘆くのが今の現状だ。被害者よりも加害者を守るような制度(刑の軽さ、少年法問題、慰謝料未払い放任など)に憤りを感じる人も少なくはないだろう。だが、結局どうしようもないのだ。犯罪者を根絶する事は不可能だし、なんとかして一人一人が法治国家でその責任と義務を果たすしかない。

とりあえず今回の設定には無理があると思って読み続けていたのだが。。
まさかこんな事だとは。被害者遺族である長瀬という刑事にスポットをあてたことによってさらに深みが増したのは間違いないが、自分の予想を越える仕掛けが犯罪者の心理への嫌悪感をぬぐい去った。いや、賛同はしないがこれは問題提起という前に一個の小説である。テクニック的なものを期待しても不謹慎ではあるまい。ただ、このラストはどうか。グラグラの意識の中でも、復讐が復讐を生まない確固たる意志だけは維持させるためにこのような人物(長瀬)を中心に据えたのではなかったのか?若干そこだけは疑問である。

しかし解決の見えない問題に真っ向から向き合い、それを読みやすさ、とっつきやすさを武器に数々の問題作品を生み出すこの作者の存在は貴重だろう。東野圭吾の後に読んだものだから、「文章カッサカサだなあ」と感じていた事は撤回しないが、「だから内容もペラッペラ」だとは思わなかった。次作の文庫化を心待ちにしている。

                             (346P/読書所要時間3:00)