すべてが猫になる

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カラスの親指  (ねこ5匹)

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道尾秀介著。講談社

“詐欺”を生業としている、したたかな中年二人組。ある日突然、彼らの生活に一人の少女が舞い込んだ。戸惑う二人。やがて同居人はさらに増え、「他人同士」の奇妙な共同生活が始まった。失くしてしまったものを取り戻すため、そして自らの過去と訣別するため、彼らが企てた大計画とは。 (あらすじ引用)


やっと報われた!v(T_T)v

『向日葵の咲かない夏』に衝撃を受けて以来、全ての道尾作品を制覇していたわたくし。しかし、世間の高評価と反比例して読めば読むほどに自分のテンションが下がり、今回もさていかにしてケチを付けようかなどと捻くれた入り方をしていた。それがまさかここでここまでの作品に出会ってしまうとは。

姉貴の予言通り、ケチを付けなかったわけではない。はたまたべるさんの予想通り”詐欺師主人公”という自分が最も嫌うセッティングに眉を顰めなかったわけでもない。ここは読み終わった今でも気持ちは変わっていないが、なぜなら物語上の悪はあちら側とは云えど、彼らが全くの”善意の被害者”とは言えないはずだからだ。とは言えテツさんと武沢の出会い等は面白味があったし、冒頭から中盤にかけてのテンポのいい展開は目をみはるものはあった。しかし、まひろとの出会いの都合の良さや彼らが同居するまでの経緯などはこちらが赤面しそうになるぐらいありきたりでリアリティがない。さらに、彼らが共通する憎む敵に対して復讐を企てようとするこの流れには本気で神経を疑った。そんな暇があったら就職活動をして不動産屋を廻れ。こんな程度の低いゲームに付き合わされてはいくら成功したとしても不甲斐なさしか感じないだろう。自分のイライラは最高潮に達し、怒鳴るだけで貫禄のないヤクザ事務所に乗り込んだあたりでは完全に見切ってしまっていたのだ。

しかし。

※ここからネタバレしております。未読の方はご覧にならないで下さい。








・・・・全部仕掛けだった・・・。。。。。。

わざとらしいな、と思ったあのシーンも、有り得ないなと思った彼らの偶然性も、裏切るだろうと思っていたあの人物も、出来過ぎの復讐劇も。伏線という伏線がイヤと言う程自分の前を通り過ぎていたのに、全ての何気ない描写が自分を騙すための罠だった。タクシーで尾行していたのテツさんの会話がおかしいな、と思っていたのとまひろ達は気付いているんだろうな、と予想していたぐらいで後は何も知らずに読んでいた自分が恥ずかしい。ヤクザがこれだけの年月をまたにかけて金にならない嫌がらせをするわけなかろうと思っていた時点で予測ぐらいしておくべきだった。
一番道尾さんらしい騙しだなと思いやられた感が強かったのは貫太郎の行動で、それだけでも十分評価に値していたのだがそこからが凄い。ゲームが成功し、そこでエンディングを迎えても十分完成品だと言うのに、この物語全体がテツの仕掛けた詐欺だったというのは見事の一語に尽きる。とにかく自分は騙されたのだ。しかも、これ以上ないテクニックと持久力で。

こう言っては野暮な話だが、ストーリーそのものには感動はしていない。最初に嫌いなタイプだと言ったその通りの題材であるし、キャラの印象が180度変わったわけでもない。
それでも、仕事を控えながら朝の6時半まで読む手が休まらなかった事実は認めたいし、何より、今になってここまで見事に騙されてしまった自分の姿に、そんな本にまだ出会えるんだという実感に、ただただ猛烈に感動しているのだ。