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青葉の頃は終わった  (ねこ3匹)

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近藤史恵著。光文社文庫


河合瞳子が大阪郊外のホテル七階から飛び降りた。周囲を魅了した彼女の突然の死。大学卒業から五年、
その報せは仲間に大きな動揺を与えた。そんな折り、友人たちに瞳子からのはがきが。そこには、
わたしのことを殺さないで、とあった。彼女を死に赴かせたものは?答えを自問する残された者たちが
辿り着いた先は?ほろ苦い青春の終わりを描く感動のミステリー。(裏表紙引用)



ぐはっ。。重い、重いよ近藤さん。
この清々しい表紙とは似つかわしくない重さだよ。。
元々、近藤さんは人間の繊細な悪意を表現するのに長けている作家だと思っていたので「それを
待っていたんだろう」と言われればそりゃそうなのですが。。
この作品の重さは、重いというより”気が悪い”種類のもののような気がする。
特に自殺した美しい少女、瞳子の存在がどうしたって読者の共感を得られないように描かれているし、
その仲間たちも掘り下げれば掘り下げるほど「なんだかなあ。。」という感想になってしまう。
謎が解けて行けば解けて行くほど、彼らの”空っぽさ”が浮き彫りにされてしまう。

”若さ”をテーマにしているからには、それゆえの未熟さや奔放さが前に出るのはわかる。
しかし、自分の若い頃と比べてみても懐かしさがない。これだからグループ交際って嫌いなんだよ。。
この不快感はなんだ?性に対して奔放(というより節操がない)な彼らに対しての嫌悪?
自分に対しては計算高く、相手を”評価”し一定の距離を持って付き合う彼らの姿に対しての
蔑み?(あ、たぶんそれだ)

年齢を重ねるにつれて、周囲を折り合いをつけられるようになること、が大人になる事だと
解釈するならば、成長譚としてはあまりにも無骨なテーマだと思う。彼らが、この経験を基に
どう進んで行くのか、がこちらには見えない。結局同じ事を繰り返すんじゃないか、、とは
作者の筆の甘さではなく、もしかしたらありのままの姿なんだろうか。