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第15位 『重力ピエロ』 著/伊坂幸太郎

第15位にやっと登場の伊坂さん。ミステリ作家ではないけれど、本書の体裁はミステリだから
この企画に入れられるのだ。(自分ルール)


しまった。再読して、これは私の中で『ゴールデンスランバー』も『チルドレン』も越えてしまった。
しかも、順位をもっと上にしても良かったかもしれない。え、そこまでいいか?と言われても
いいものはいいのだ。完璧だと言いたいんじゃない。そういう意味なら『ゴールデンスランバー』の
方がはるかに優勢だろう。会話の魅力、家族の絆を表現する上での文学的個性、という面で
これ以上優れた伊坂作品はないと断言したい。

この作品の主人公は遺伝子を扱う会社に勤めるサラリーマンの「私」。癌に蝕まれた父親と、
個性的な美しい母親。そして、過去に母親がレイプされて出来た子供が「春」。「私」の弟だ。
辛い記憶を抱え、成長した2人の兄弟。突然事件は起こった。被害者に「私」の勤める会社を含む
数々の放火事件と、事件の前に出没する謎のグラフィティアート。「私」は調査を始めるが。。。


とんでもない設定だと思った。こんな重すぎる境遇を仮にも軽妙に描くとは何事ぞと思わずには
いられない。重たいものを重たく描く方が簡単なのかどうかは作家ではないので分からないが、
「それでも元気に過ごしています」「血の繋がりだけが絆ではないのです」という結局は
箸にも棒にもかからないテーマとメッセージだけで感動させる作品だと思ったら大間違いだ。
まっとうな痺れる台詞が全く登場しないわけではないが。

メッセージをメッセージとして伝える作品の方が多い事は確かだと思う。伊坂幸太郎が、
この作品が凄いと言い切れるのは、これは伊坂さんの得意な技法なのだが
「弟と私達は深く傷ついている、犯罪者の言葉は間違っている」と書く事によって読者の
共感を得ようとはしないところ。
そこを伊坂さんは、こう書く。
「可哀想なのは強姦された女で、俺ではない。ということは、強姦は悪じゃない」
「たかがレイプだぞ」
そして、その人物の胸ぐらを掴んでもいいはずの人間の心理は描かない。
「はあ」という言葉や、
「私はこっそりと深く呼吸を繰り返した。油の塗られた鉄板の坂道を、這いつくばって上りきる
ような、必死の努力の末、「鋭いですね」と言った。」
という文章だけで場面を終わらせてしまう。
ここで、読者に自力で主人公の心理を引き出させてしまうのだ。

兄の心理については特にラストは複雑で、彼は自分で矛盾とも言える言動を次々と犯す。
しかし、そこに至るまでの葛藤は人類ならば誰でも同感せざるを得ないはずで、
その間違いが決して愚かにも哀れにも映らない。いや、間違ってると思うよ。でも、
小説ってもともとでまかせを楽しむものなんだろう?だったら、読んでいる自分も
最後には彼ら兄弟と同じように、見えたものに感動すればいいと思うんだ。
ラストシーンベスト10、というものがもしあるなら、自分は間違いなくこれに決めるね。