すべてが猫になる

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第19位 『暗いところで待ち合わせ』 著/乙一

着実に進んでおりますオールタイムベスト。このあたりは順位が入れ替わっても違和感がないのですが、
なぜか10の位が「1」のところに乙一を入れたいという欲求が。

本書は今ではすっかり国民的人気作家となった乙一氏の長編大ヒット作。初読時はそれほど乙さんは
有名ではなく、一人でこっそりごっそり買い込んでは部屋の隅で読みふけっておりました。
基本的にホラー畑の方なので、本書にあたった時にはまず驚いたものです。こんな才能もあるのか、
もしかしてこれから大きく育って行く作家なのかもしれない、という予感と、誰にも知られたくない、
という気持ちが揺れ動いて居ても立ってもいられない状態でした。もちろん良い作家が広まり、
たくさんの人の心に届く、という素晴らしさも噛み締めたい。しかし、広まれば必ず批判の声も
聞くだろうし、自分の目に止まる事になる。普段自分自身がやっている事だろう、と自覚しつつも
この作家だけは苦言に対して割り切れる自信がなく、それが積極的に布教しようという意志を
阻んでしまっていました。

だけど、届く人には届いた方がいい。



うだうだはさておいて、本書です。映画化もされたので、ご存知の方の方が多いでしょうね。


事故で盲目となってしまった孤児のミチルと、職場の同僚を電車に突き飛ばして殺した容疑で
逃亡するアキヒロの物語。
人間関係や外界への恐怖心のあまり一人暮らしを始めたミチルの家に、こっそりアキヒロが
隠れ住みます。物音を立てず、いつも居間の隅でうずくまり、自分の存在に気づかないミチルを
観察し続け、いつかこの状態が最悪の形で終わる事に怯えながら。
しかし、ミチルはある日家の中に確かにある他人の存在に気付いてしまいます。未知の人間に
怯えながら、ミチルは彼の存在に気付かないフリを始めました。



乙一らしい、奇妙で魅力的な設定。
過去に読んだ作品では妖怪が出たり幽霊が出たり刺青が動き出したりと、非現実的要素の強い
ものばかり。そして、本書もオカルトではないものの、「他人の家に忍び込んで暮らす
おかしな同棲物語」という通常では有り得ない、創作ならではの発想を使ったものでしょう。
普通ならば「この設定を受け入れさえすれば入り込める」といった前置きや心構えが必要な
フィクション。これは個人的な読み方、というお断りをした上で感想を。

いつからか、自分は本を読む事で日常のストレスから立ち直ったり、失恋の痛みを慰めたり、
単純に気合いを入れたり、といった生活の原動力として読書を利用しなくなった。
自分は本を読む、という行為が好きなだけで、その内容で人生が変わったり、価値観を
ゆすぶられたり、などという力は本にはない。と。「一定のジャンルや、読書そのものに
はまるきっかけ」となる本はあっても、通常の読書で「よし、明日からこのキャラのように
前向きに生きるぞ」的な感動は一時的な興奮によるものであって、実際3日もすれば
元の生活に戻る。その繰り返しだと。

しかし、本書を読んで、「変わるかもしれない。明日から変わる人がいるんじゃないか。」と
思ったのです。乙一がこの作品で描いているのは非常に普遍的な、人間の持つ孤独感だったり
生きる事のしぶとさだったりと、元来小説の歴史の中で描かれて来たテーマと違いはありません。
アキヒロは、孤独を愛します。人間関係に疲れ、日々他人との接触を極力避け、彼らと自分の
価値観と思想の根本的な違いに愕然とし、周囲から孤立します。
一方、ミチルの孤独は望んだものではなかったのです。盲目となり、外部と遮断することを
余儀なくされ、孤独を選びながらそれでも他人を求めている自分に気付く。

この設定を受け入れるもなにも、まさにアキヒロのような考え方は(彼の場合は極端ですが)
自分自身が通って来た道じゃないか。周囲から孤立しない事と代わりに結果として自分が得たものは
年齢と共にキツくなった顔つきと人を見る目。20代前半の頃の人気者の影はすでになく、
人と付き合うのも特定の人間だけを選び保守的で攻撃的な行動を身につけた中途半端な大人が
出来上がった。

そこで思うのは、彼ら二人と自分の生きている土壌は別物だという、これこそが一番のリアリティ
だと思い知った事実。自分は盲目ではないし犯罪の容疑者でもない。彼らの前に立ちはだかる壁は
こちらにはない。だが若さがある。この物語のテーマは普遍のものでも、この歩む道は彼らだけに
与えられたもの。内容に感動し、動かされるなんて元々絵空事だった。
読書はこれでいい。
他人の人生は歩めない。乙一からはおかしな影響を受けたみたいだ。