すべてが猫になる

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炎の眠り/Sleeping in Flame (ねこ4.9匹)

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ジョナサン・キャロル著。創元推理文庫

ぼくは呆然としていた。目の前に、三十年前に死んだ男の墓がある。そこに彫られた男の肖像が、
ぼくだったのだ。そのとき、見知らぬ老婆が声をかけてきた。「ここにたどりつくまで、ずいぶん
長いことかかったね!」捨て児だったぼくは、自分がなにものなのか知らない。悪夢が始まった……
永劫の闇を覗きこむがごとき戦慄の結末。(裏表紙引用)


昨年からキャロルにねこ飛ばしまくっているが別にとうとうゆきあやおかしくなったかと思われても
かまいません。自分はこれ以上のものを知らないのだからしょうがない。それが不幸かどうかも
わからない。どうしてもあのパーフェクト本『死者の書』は越えられないが、『月の骨』よりは
こっちの方が結末にガーーーンと来た。(あのオチの事ではない)読む順番としては自分的に
正しかったし(スライド式でシリーズでリンクしている登場人物が主役になって行ってる?)
『月の骨』を読んでいたからこそニヤリと出来る世界でもあった気がする。

とにかくストーリーが全く読めない作家なのだ、このジョナサン・キャロルという人は。
文章力も群を抜いている上、構成の巧みさや細部にわたるプロットに次ぐプロットは
これが自分と同じ人間の手によるものなのだろうかと思うと羨ましくてしょうがない。
日常的に自分の内面に潜む暗いもの、見ないふりをしているものにキャロルはどんどん
名前をつけて表現して行く。そして私が彼を神ではないかと思うのは
『それでも存在している明るいもの』までも描き切るところ。
もちろんシリーズに一貫してある世界は完全に架空のもので存在しやしないのだが。

私は自分が好む小説においてあまり「リアリティ」は求めていないとよく書く。
冗談じゃない、自分ほど本から明確なものを欲している人間もいない。
先日読了し記事アップした平山夢明氏などはかなり近いところまで行っていると思うが、
片やリアリティの表現者、片やリアリティを0から生み出す者であれば自分はこちらを選ぶ。
いくら天才でも魔法には敵うまい。