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夏と花火と私の死体 (ねこ5匹)

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乙一著。集英社文庫。第6回ジャンプ小説・ノンフィクション大賞受賞作。


九歳の夏休み、少女は殺された。あまりに無邪気な殺人者によって、あっけなく――。こうして、ひとつの死体をめぐる、幼い兄妹の悪夢のような四日間の冒険が始まった。次々に訪れる危機。彼らは大人たちの追及から逃れることができるのか?死体をどこへ隠せばいいのか?恐るべき子供たちを描き、斬新な語り口でホラー界を驚愕させた、早熟な才能・乙一のデビュー作、文庫化なる。(裏表紙引用)



再読。

初めて読んだ乙一作品がこれだったというのは幸福だと思う。この作品を読んだ時の衝撃を今も忘れられない。描かれたのが16歳という驚異も含めて、とんでもない才能であり、今でもこの才能は枯渇していないことを嬉しく思う。

本書で必ず言われるのが、この「神の視点」と呼ばれる、殺された少女が「わたし」という一人称でもって語るという独特さ。好きな男の子が同じ、という理由で木の上から突き飛ばされ、語り手の少女が自身の死についてそのまま語り継ぐこの形は、震え上がるほど異様で恐ろしい。死体を見つけた少年のあっさりとした反応と大人のような冷静な行動力、これを子供の残酷さで片づけて良いのだろうか。死体を隠すために翻弄する兄と妹の緊迫感も尋常ではなく、無駄がまったくないまま驚愕の真相へと導かれる。この流れもまた違和感がなく、目をみはるものがある。


同時収録の中編、「優子」でもその描写力は発揮されている。
作家の家にお手伝いさんとして働くことになった清音は、一度もその妻の姿を見たことがない。少しだけ開いていた襖から夫婦の室内を覗くと、布団に横たわっていたのは人形だった――。というもの。狂ってしまった小説家をなんとかまともにしてあげたいと清音が取った行動とは。。。
見たいけど見たくない、見たくないけど見たいの心理が見事に描かれていると思う。本当はこうなんじゃないか、ああやっぱり、という読者の心理をうまく誘導し、意外性あるラストへ連れて行ってくれる。今でこそ珍しくはない真相かもしれないが、この作家の手にかかると目の前に映像が浮かび、いつでも初めて体験したような驚きを与えてくれるのが凄いところ。