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ボトルネック (ねこ4.6匹)

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米澤穂信著。新潮社。

高校生の嵯峨野リョウの兄が死んだ。決して円満でない家庭で特に感慨にふける事もない
リョウにとっては、兄の死よりも恋人の死を弔う事の方が気持ちを優先する。
その恋人の死地で、強い目眩に襲われたリョウは崖下へ転落する。
目覚めた世界は、全てが上手く行っていた。生まれなかったはずの姉が存在し、
死んだはずの人間は皆生きている。違うのは、自分の存在の有無だけだったーーー。


2006年8月末に本屋に並んだばかりの新刊だが、読書人の間ではジャンル問わずささやかに人気の
米澤穂信、既に読まれた方は多かろう。そこで、読まれた方の目にもしこの記事がとまれば
この評価に驚かれるかもしれない。
それを前提に、感じた事をありのまま書かせていただきたく。

この物語の主人公の家庭環境が自分とかぶりすぎているのである。
自分の上に、生まれなかった姉がいた事。姉が生まれていれば自分は存在しなかっただろう事。
両親の不仲。うちでは離婚してしまったのでそこは違いがあるが。
健在だが、成人するまであまり仲がいいとは言えなかった兄の存在。

本書では、主人公がかなり「冷めた」性格に描かれている。内心、心の奥の奥までは
読み取れなかったのは自分の怠慢だが、あくまでこういう人間関係に対する態度は
ポーズである事が現実では多い。リョウは、自分のいない世界では最悪の事態は
避けられた事を目の当たりにして随分と悩み、自己嫌悪に陥る。
しかし、自分なら間違いなく「嬉しい」が先に立つ。本当だ。すべてなかった事に出来るなら、
自分の存在について思い悩むどころではないのだ。

自らより「他人」を優先出来るのは諦めなのか成長なのか性格なのか?それはわからないが、
少なくとも自分がいなければ避けられたとはとても思えないし、それほど自分という存在が
ボトルネックになっているとも考えられない。避けようがない事は避けようがないと言えば
身も蓋もないが、ここで描かれているのはそう考えるとやはり「若さ」なのだろうか。

本書で感動もしていないし感心もしていないが(むしろかなりダークな気分になった)、
身につまされ自分の心を掻き回してくれた印象的な作品だった。
よってお薦めするような性格の本ではないが、敢えて感想を聞きたい人は兄だろうな。