明治三十年代初頭。人気のない道を歩きながら考えを巡らせていた女学生の塔子は、道中、松岡と田山と名乗る二人の男と出会う。彼らは幻の書店を探していて―。迷える人々を導く書舗、書楼弔堂。田山花袋、平塚らいてう、乃木希典など、後の世に名を残す人々は、出会った本の中に何を見出すのか?移ろいゆく時代を生きる人々の姿、文化模様を浮かび上がらせる、シリーズ待望の第二弾!(裏表紙引用)
書楼弔堂シリーズ第2弾。
書楼弔堂。古今東西のあらゆる書物が揃っていて、購入もできる不思議なたたずまいの本屋さん。そこの店主は元僧侶で、銀縁眼鏡で40代の紳士。無縁仏の縁者を見つけ、供養するために本を売っているらしい。この店主(元は龍典さんというらしい)、かなりの博識なのに、文学的な素養は自分にはないとか嗜む程度とか言っちゃうあたり謙虚でいいなあ。口達者な丁稚のしほるがいいアクセントになっているし。
今回は、詩人松岡を中心とした、女学生の塔子の目線で見た迷える人々のお話ということでいいのかな。塔子は元薩摩武士の、男尊女卑主義の祖父との折り合いが悪く、モヤモヤするたびに散歩と称して弔堂へ赴く。演歌師や心理学者の卵、元軍人などのちに世に名を馳せる実在の人々が、どういう経緯を持って弔堂に来て、どういう悩みがあって後に有名になったのかという物語。秘すれば花、変節が悪いのではない、戦わずして勝たねば真の勝利ではない、など、色々と勉強になる教えがたくさん。説教くさくないのもいい。スっと心に入ってくるから、塔子も素直に受け入れられるんじゃないかな。他の人々も。中でも死者を成仏させるかは生者次第というのが響いた。当たり前のことでもなかなか論理的には説明できない心というものがあって、それが京極さんの筆にかかると絡まった紐をほどくかのようにすんなり腑に落ちるから凄いと思う。