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何様  (ねこ4匹)

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朝井リョウ著。新潮文庫

生きるとは、何者かになったつもりの自分に裏切られ続けることだ。直木賞受賞作『何者』に潜む謎がいま明かされる──。光太郎の初恋の相手とは誰なのか。理香と隆良の出会いは。社会人になったサワ先輩。烏丸ギンジの現在。瑞月の父親に起こった出来事。拓人とともにネット通販会社の面接を受けた学生のその後。就活の先にある人生の発見と考察を描く 6 編!〈解説・若林正恭(オードリー)〉(裏表紙引用)
 
「何者」のアナザーストーリー集。映画も観たので、名前だけでは誰だったか分からないのをいちいち役者を確認しながら読んだ。(俳優名)は自分用。
 
「水曜日の南階段はきれい」
天真爛漫系男子の光太郎(菅田将暉)の高校時代のお話。クラスメイトの夕子さんに英語を教わることになった光太郎は、毎週水曜日に南階段を夕子さんが綺麗に掃除していることに気づく。なんだかこのお話だけ日常学園ミステリーのよう。他人に語れるかどうかだけで夢の本気度は図れないと思うな。「俺はビッグになる」と宣言してビッグになった人もいるだろうし。
 
「それでは二人組を作ってください」
意識高い系女子の理香(二階堂ふみ)が、宮本(岡田将生)と付き合うことになるまでの経緯を描いたお話。「何者」で、自分より先に内定を取った友人の会社を「ブラック」という言葉で検索していた子だあ~~~~~。元々理香は深い友人が出来ないタイプの女子だったんだね。ルームシェアをして欲しいと言い出せずに、目当ての子がテレビでオシャレだと言っていたインテリアをまず揃えるあたり、なぜそうなるのか分かる気がする…。他人を自分よりバカだと思っている人にありがちなパターンだ。低俗な流行り番組を、知っているのに「知らない」と言いたがる宮本とはお似合いなんだろうな。まあでもこの子が1番好きだったりする。
 
「逆算」
鉄道会社勤続4年目の松本有季(何者には出ていない)の物語。サワ先輩(山田孝之)登場。サワ先輩は謎の人物だったけど、やはり思っていた感じの人だったね。SNSをやっていないところとか。有季の元彼の誕生日逆算事件、かなりキモイんだけど…。26歳まで何も経験していないというコンプレックスを抱えている有季。まあ、経験する必要もないこともあるから…そう悲観せず…。
 
「きみだけの絶対」
脚本家・烏丸ギンジの甥・亮博。まあこの年齢の男子ならやることしか考えてないのは正直でよろしいと思う。サラリーマンの父がギンジを「表現者」と名乗ることも脚本家という仕事自体も軽く見ているのが分かる。これも嫉妬のうちなんだろうな。読者にとってどちらが滑稽に映るかどうか、こういうのって、視点次第だと思う。「何者」ではギンジが名刺の裏に「外国人の手に渡るわけでもないのに」英語で印刷しているのを揶揄されていた。届くはずもない人に届けようとする耳ざわりのいい言葉。何もしない人は何かをしている人、ましてや成功しようとしている人をどこか欠点がないかと無意識に探すもんなんだろうか。形のないものも、届くことがあり、響く人がいる。その当事者になった時にはじめて世界は変わるんだと思う。
 
「むしゃくしゃしてやった、と言ってみたかった」
マナー講師の正美は幼い頃から優等生で、現在独身35歳。劣等生で問題児だった妹の栄子が先に結婚し、両親と和解し心を繋げ合っている。不良が更生し教師や弁護士になることに反発を感じる正美。むしゃくしゃして、人に迷惑がかかるような、誰かが傷つくようなことを初めてやってみたけれど、それが「なんだ、こんなもんか」と思うようなことだった、ということであればいい。だって35歳じゃ遅いもん。
 
「何様」
拓人(佐藤健)が面接を受けた時に同じ部屋で面接を受けていた克弘が主人公。以前選ばれる側だった自分が選ぶ側に立つ。人を見る目があるわけでもない「何者」でもない自分が、誰かが、わかったような顔をしてある日から突然人を選ぶ。誰かが誰かを評価している時に第三者が不快な気持ちになるなら、その人自身が他人から「お前が言うな」って思われてるってことだもんな。その葛藤がよく描かれていた。ある日急にその立場に立たされ、まるで以前からそう思っていたかのように演出するのが就活。しかしまあ俳優はじめ仕事ってそういうものだし、そうなった時に溢れる気持ちもあるはずだから。そのことに気づけて良かったと思う。
 
以上。
社会人になっていたり、就活前であったりとそれぞれのキャラクターの別の面が出ていて良かった。若い頃は、自分は他人とちょっと視点が違うと思いがち。社会に出たり就活をはじめてからやっと自分が「普通」であることを思い知り、だけどそんな自分を何者かであるように見せ続ける時代。朝井リョウはその滑稽さだけではなく、思い悩んだ末の答えまで導いてくれるあたり天才的だと思った。自分を制御できない不器用な若者の姿がありありと描かれていて、それでもその若さが愛おしく感じる物語だった。